冒頭のタイトルは今、筆者が愛読している巨人ファンのブロガー中溝康隆の「プロ野球死亡遊戯」からの一節である。

この表現を聞いて死亡遊戯のブロガーとしてのクオリティーの高さに圧倒されたのと同時に、自分がここ10年のあいだ、喉に魚の小骨が引っかかっていたのが取れたような爽快感を感じた。

この場合、2015年=昭和90年というのが正しいのだが、この表現がこの年発覚した巨人軍のロッカールームで選手が賭けトランプをやっていた賭博問題について、中溝氏が「(巨人軍の内部って)スゲー昭和だな」という意味で発した言葉だ。

筆者はプロ野球をもう一度見るようになったのが最近なので正直疎い方だが、日本球界というのはプロだけでなくアマチュアも含めて、中にいる人間の年齢層が高くなっていて、ナァナァの雰囲気を熟成し、それ故にこうした問題が生まれた空気を作り出してしまった。

野球の世界というのは指導者もフロントもマスコミも、おそらく上の年代が多くなって同世代だけで固まり、それまでの自分たちの常識=世間の常識と錯覚していたが、そうした世間との認識のギャップというのが、コトが大事にならないと気付かないのが腹が立つのを通り越してかわいそうにすら感じる。

ある意味日本球界というのは、2004年の合併問題による近鉄バッファローズの消滅や2007年の高校野球特待生問題による罪の無い特待生球児への責任転嫁から、何も体質は変わっていないのかもしれない。

筆者が好きなボクシングで世界王者を育てた日本人トレーナーが「ボクサーという人間を純粋に尊敬はできるが、ボクシング界は嫌い」という言葉を残したが、筆者も「野球選手は純粋に尊敬できるが、日本の野球界(のこうした体質)は嫌い」と言いたい。

今、ボクシングの話が出てきたが冒頭で喉の小骨が取れたというのは、2016年=昭和91年というのは野球の専売特許ではなく、ボクシングも同様だというのに気付かせてくれたからだ。②でそれを説明したい。