①ではマニアックなドイツ・ボクシング事情からヨーロッパ先進国のグローバル化の内情を伝えた訳だが、②では我が国日本のことを考えてみたい。

ドイツ(というよりヨーロッパ)の伝統的プロ格闘技がボクシングなら、日本の伝統的なそれはやはり大相撲だろう。

大相撲はボクシングとは違いメジャーな娯楽だから、このブログの読者も定期的に見ている方もいるかもしれない。

知られていることだが角界ではつい最近まで「日本出身力士」の幕内最高優勝はなかった。2006年の初場所に栃東が優勝して、そこからちょうど10年後の2016年の初場所に琴奨菊が優勝するまで、日本出身力士は優勝できなかった。優勝でさえそうだから、横綱など言わずもがなである。

しかし、「日本出身力士」という括り方はやはり妙である。2012年の夏(5月)場所で、モンゴルから日本国籍を取得した旭天鵬が平幕優勝したのだから。

しかし、生粋の日本人からすると何か外国から日本に帰化した力士ではなく、日本出身力士というのがポイントというかミソになる。

というより「日本出身力士」という言葉自体が、日本がグローバル化の激流に晒されていることの象徴している。

少し相撲から脱線するが、モンゴルで生まれたが日本で相撲を覚えて日本語を喋り日本国籍を取得した旭天鵬と、日本に生まれて日本の教育を受けながら成人したものの、五輪出場のために日本国籍を棄ててカンボジア国籍になったマラソンランナーの猫ひろしのどちらが「日本人」と感じるか?という話である。

もう日本人=(日本国内で生まれてかつ)日本人同士の親から生まれた人ではないのだ。この事実が21世紀の平成時代の日本には存在する。

①でドイツの話でもしたが、今先進国は急激なグローバル化の波を受けている。先進国の国民が移民に仕事を奪われて懐古趣味に走っても、時代の流れが過去に戻れないのは1333年の建武の新政(後醍醐天皇が昔は良かったと過去に戻った公家の時代の仕組みにしたが、当時一番の有力者だった武士の反発により2年で挫折した政策)を見れば分かるように歴史が証明している。

今、先進国では移民に対するヘイトスピーチが後を絶たない。しかし一方でそうした国の大都市は(もちろん東京もだが)、移民による労働者がないと経済が回らなくなる程、必要不可欠な存在になった。

こうした国の事情やアスリートの在り方からこれからの時代、自分たちが異文化の人間とどう向きあっていくかが問われる。