①では高校野球の名門校の意外なリアルを紹介したが、実は今の日本社会に対しての痛烈な皮肉にも聞こえる。

今の日本はサラリーマンは皆長時間労働が当たり前である。早出や残業も厭わず、会社に忠誠尽くして当たり前。なのに給料も上がらない。「社畜」というイヤな言葉も生まれる始末だ。

勉強でも同じだ。受験勉強で「今日は8時間勉強した‼︎」というカタルシスを感じだことのある人は、このブログ読者にもいるかもしれない。

…しかし…

仕事に対して1番重要なのは長い時間会社にいることではなく、会社に利益をもたらすこと。受験勉強で大事なのは何時間も机の前に向かうことではなく、志望校に受かること。労働や勉強はそのための手段であって、それ自体を目的にしても無意味かつ不毛な努力に過ぎない。

今の時代、もうすでに会社での拘束時間の長さを勤勉と捉えるのは年長世代の自己満足でしかない。要はこれからの時代は仕事も練習も集中してONとOFFをしっかり切り替えたメリハリが成功への鍵になる、というのを当の年長世代が受け入れないと自分たちが損をする羽目になる。

えっ?  「何を根拠にそんなことを?」だって?

昔は「人材も  材料だから  使い捨て」という川柳もあったが、今の時代そんな風に若い人材を酷使してたら、天然資源の乱獲と同じでその材料が枯渇しちゃうよ。1973年に209万人産まれた日本の赤ん坊は、2014年には100万3000人まで減ったのに。ここまでこれからの日本を担う若い働き手が減ったら、老人の1番の楽しみである年金も先細り確定。

ここまで少子化が加速したのは、昭和の長時間労働という高度経済成長期の成功例を、21世紀の平成大不況の現在まで、伸びきったパンツのゴムのように無理矢理引っ張ってきたからだ。1日は24時間しかない。そんなアフター5をデートより長時間労働をする=恋愛を捨てる=結婚で子供が産まれるチャンスを摘み取る、だからだ。

長時間労働(残業)が短期的に企業の利潤になっても、長期的に見て赤ん坊(20年後の企業に対する消費者であり年金を納める人材)を失うことになることになるから、今の時代ダラダラ長時間労働なんて誰も得しないのだ。そういう労働体系の企業に将来があるのか?

というように、今の時代の具体的な目的のない長時間労働というのは①で述べた野球部で渡辺総監督の長時間練習に対して、勝手に自己満足に酔っている状態とマンマ同じだ。

「スポーツと仕事は別だ(怒)!」と言う老人もいるかもしれない。しかしそういう人は錦糸町の独眼鉄という有象無象のブロガーの言葉を無視してもいいが、感動と熱狂で日本中を湧かした横浜高校総監督という名将の言葉として、今回のブログタイトルの言葉を理解してもらいたい。

今回の言葉に反対するということは1998年夏の甲子園の衝撃を価値がないと、自分で否定しているようなモノだ。

スポーツの練習も受験勉強も会社の仕事も長時間やるのは、結果を求めるための手段であって、目的ではないのだ。