今回読んだ巨人ファンのブログ「プロ野球死亡遊戯」はまるで自分の深層心理を描写したかのようだった。しかしそれだけでは単なるパクリになるので、②ではもっと自分の色を出したい。

こうして今ジェフサポを20年以上やっているが、今度は別のジェフサポが何でJ2クラブのサポをやっているのか?という理由を述べたい。

そのブロガーは、最近ジェフサポになって1番いい時代だったオシム時代を知らないと前置きした上で「普段の生活の中で『千葉愛』を100%絶叫できる場はほとんどない。千葉の人間はどうしても東京に対して卑屈になるし(言われてみれば千葉なのに「東京」ディズニーランドなど埼玉〔埼玉スーパーアリーナ〕に比べて、千葉の東京に対する卑屈さは地元の施設の名称から見ても分かる)。

「しかしフクアリ(ジェフ千葉の本拠地)のゴール裏ならそれを全力で堪能できる。同じ千葉でもマリーンズや(バスケの)千葉ジェッツの応援席ではジェフほど地元愛を絶叫できなかった」とフクアリの中心で千葉愛を叫ぶことが、自分がジェフサポを続ける理由であると、ネット上で語っていた。

①の巨人ファンである死亡遊戯(中溝康隆)が巨人と当人との繋がりを「家族のような関係性」と述べたように、このジェフサポは「地元愛を確認するアイデンティティーの精神的シェルター」として、フクアリのゴール裏を活用している。

こうして2人のファンの理由を述べてきたが、では筆者の場合は何か?と言えば、(サッカーに限定すれば)この2つの価値観を足して2で割った感じだ。

以前、自分の価値観を公衆の面前に晒け出すという、精神的な意味でのストリッパー行為をこのブログでした時に、自分の精神的なコアな部分の2つの競技に対して「ボクシングは『自分の究極的な自己実現の手段』であり『他者との関わりより精神的な自分の内面への追求』に対して、サッカー(ジェフ)は『家族や故郷との関係性を再確認する必要不可欠なツール』であり『自分の考えを外側に拡散させて(サッカーファンという)他者と共感するための役割』を果たしている」と答えた。

分かりづらいかもしれないが、要はボクシングは自分の内側へ、サッカー(ジェフ)は他者との関わりのためにコミュニケーション手段として外側へ向かっている感じだ。

このブログの読者もスポーツが好きだろうから自分の精神的な根幹をなす球団(クラブ)もあるだろう。

勝利に目が眩んで相手チームや他の関係者をdisる(腐す)のは論外だが、そうでなかったら応援する理由なんて何でもいい。自分が何故このチームを心の拠り所として、無償の愛を捧げるのかを考えてみるのも悪くない。