①では危機感を持たないでいるダメなビジネスモデルを見てきたが、②では危機感を持つことによってV字回復したスポーツビジネスを見ていきたい。

危機感を持って成功したプロ格闘技とはズバリ「新日本プロレス」と「大相撲」である。

まず大相撲から見ていこう。大相撲というのは結構前から経営システムが先細りになると言われていた。

少子化の上に、のたり松太郎ではないが「人前で尻を出せるかよ」のようなまわしをつけて尻を出す戦闘スタイル(⁈)。野球やサッカーに比べて、ビジュアル面でのマイナスは否めない。

それプラス飽食の時代に食いぶちを減らす必要もなくなった。

その上、新弟子暴行死事件や八百長事件、力士の覚醒剤使用と、少し前の大相撲の権威は地に堕ちていた。

「このままでは大相撲は消えてなくなってしまう」

こうした(自業自得でもあるが)角界を取り巻く環境が向かい風になってから、相撲協会は変わった。

遠藤や逸ノ城・大砂嵐といった個性的なキャラの上に強い力士が出てきて、話題性も出てきた。

その上、相撲協会は当時出たてのSNS(ツイッターやフェイスブック)でのファン拡大の改革を矢継ぎ早に敢行し、21世紀の大相撲ブームを引き起こした。

新日本プロレスも同じだ。戦後のプロレスブームも過去のモノになっていた平成の世。棚橋弘至や他の新日の若手レスラーは、改革をしないと新日の看板が化石になってしまうという強烈な危機意識を心に内包しながら、試合をしていた。

新日の改革は正直地味なモノだった。団体のHPだけの試合告知を改め、地方遠征だと地元の地方局や地元紙・ミニコミ紙や地域ローカルのFM局と、興行の会場先にあるありとあらゆる媒体に積極的に発信する努力を惜しまなかった。

もちろんレスラー自身もブログやSNSで情報発信を、練習や試合の合間に逐一怠らなかった。

しかし「地味な練習ほどキツい。しかしそれは試合に役に立つ」ではないが、新日レスラーの地味ながらも継続した情報発信という広告スタイルも3年4年と続けると膨大な広告効果を生み出すことに成功した。

新日にしても大相撲にしても、業績のV字回復に成功したのは「このままでは自分たちの世界は過去のモノになり、忘れて去られてしまう」という強烈な危機意識が根っこにある。

スポーツでも政治経済でも「今まで何とかなってきたから、これからも何とかなる」というのは思考停止でしかない。そうなりたくなければ、(新日や大相撲のように)存続するための行動あるのみだ。