こうしてプロレスのことを見てきた訳だが、二階バルコニーからこの日の入場者を見ると、客席は9割方埋まっていた。
ボクシングでキャパ2000人の後楽園ホールの9割を埋めるには、世界ランカークラスの強豪同士が激突する、日本ないし東洋タイトルでないと埋まらない。
しかし新日は普通の興行で、これだけの集客力を備えている。ブシロードの木谷社長が「(新日の)資産価値は30億円」と言っていたが、これだけの集客力&知名度を備えた看板の影響力というのは、新日というのがかつての絶対的なブランド力が復活しつつある。
そうした中でプロレスを見ていたが、筆者が感じたのはやはりプロレスというのは命を賭けて身を削る格闘技なんだな、というのを感じた。
この興行に参戦していたタイガーマスクの左肩に、大相撲の力士ではないが痛々しいテーピングが巻かれていた。
どのレスラーも身体のどこかしらに爆弾を抱えてて闘っているのだろうが、レスラーの肉体というのはある意味、別の種族の動物のように感じた。
あと競技の特性を見ると、ボクシングだと相手の攻撃というのは避けるかガードして、少しでもダメージを軽減させることに重きを置く。
一方でプロレスの場合だと、相手の攻撃に対してどのレスラーも相手の破壊力のある攻撃をいかに自分の肉体で真正面から受け止めて、自分からも相手に全身全霊の気持ちを込めた技を繰り出す。
こうした差というのは競技上の特性の違いに過ぎず、どちらかの競技に優劣がある訳ではない。
プロレスの場合は、そうしたレスラー同士の技の応酬で相手の技に耐え切れなかったら負け、といったルールのように見えた。
レスラーにとって自分の必殺技というのは、自身のアイデンティティーそのもので、一方で受け止める側はそうした技をというのを相手の全身全霊の攻撃に耐えることにより、相手の精神的なバックボーンに屈しないという自身の根源的なプライドの全てを示した行為である。
今回「新日本プロレス」と銘打った記事を書いたが、あまりプロレス団体特有の具体的な説明までには至らなかった。今回のプロレスの記事はここで終わりにするが、またいずれ機会を見てプロレスネタを書いてみたい。
