①ではこのブログの読者には釈迦に説法を承知でGIANT KILLINGの説明をしたが、②では冒頭のタイトルにあるこの漫画のどこがズルいのかを説明したい。

①で説明したようにGIANT KILLINGの主人公というのは基本的に達海猛である(この説明こそ今更だが)。

しかしGIANT KILLINGの場合、もう1人主人公がいる。読者なら察しがつくだろう。達海がETUで現役時代に付けていた7番のユニフォームに袖を通しているボランチの椿大介だ。

GIANT KILLINGという漫画は達海と椿という主人公のダブルスタンダードという形で話が進んだのが、これまで成功したサッカー漫画とは違ったところだ。

これまでの成功したスポーツ漫画というのは、絶対的な才能を持った選手1人かチームメイト2人以上の選手同士が主人公というのが普通だった。

しかし、GIANT KILLINGは監督と選手というチーム内で立場が違う人間2人を作品内で共存させながらそれぞれを融合し、プロサッカーという部活のサッカーとは違う厳しさと魅力を表現した。

そしてアラサーやアラフォーといったサッカー部を引退した元サッカー小僧や、筆者のようなサッカー未経験だけど、体中がサッカー細胞で構成される「空気が無くても生きていけるが、サッカーが無いと死んじゃう」ようなサッカー小僧に対して、達海がETUを指揮する姿を見て「俺も(自分が応援するクラブの)監督やりてぇ!」と思って、GIANT KILLINGを買って達海に感情移入する。

一方で今サッカー部に所属する現役部員ののサッカー小僧は、自分の学校のレギュラーもままならなくても、漫画の中で椿も高校時代は補欠で、地域リーグの社会人チームを経由してプロ1部のクラブに入団し、そこで全く無印の大穴からレギュラー抜擢。

そこからあれよあれよとプロで活躍し、五輪代表→A代表で南米の強豪の10番とマッチアップするようになる。

個人的には高校時代は全く無名だったのにジェフに入団して、オシムに見出されてレギュラーに抜擢されて、レアルとの親善試合で当時の7番フィーゴとマッチアップした水本裕貴(現・広島)を彷彿させる。

現実の世界で水本みたいなことは99%起こらないが、漫画を買った現役サッカー部員はそんな風に椿に感情移入しているのである。

こんな風に筆者がGIANT KILLINGをズルいと思ったのは世代も立場も違う主人公を2人設定して、監督(部活を引退した読者)と選手(現役サッカー部員の読者)にそれぞれの世代に二重のアプローチに成功して、2倍の読者を囲っているからだ。

こういうストーリーが1つでも楽しいのに2つも用意するなんて!そんな欲張りな男のロマンがぎゅうぎゅうな漫画がGIANT KILLINGだ。一粒で二度楽しめる。そんなところが欲張りなんだ(笑)。