①では様々な世界で意志を受け継ぐことの必要性を述べたのだが、②では他の世界についても言及したい。

筆者がやっていたボクシングという競技は果たして、同じプロ格闘技の新日本プロレスのように意志を若い世代にちゃんと受け継いでいるのか?という話である。

結論から言えば、筆者が見たところそうした意志が継がれているようには見えない。

以前はじめの一歩で主人公の幕之内一歩が、世界戦で顎を砕かれ負けた伊達英二にバトンを受け継ぐシーンがあったが、今のボクシング界にそうした意志を持ったボクサーがいるのか?という話だ。

①で述べた蝶野正洋さんの「薄口」の話ではないが、観戦歴20年の筆者も今のボクシングが薄口に見えるのも事実である。

ただそれを差し引いても、意志を持ったボクサーがほとんどいないように見える。

何人かの世界王者は今の日本にはいるが、「エース」と思える選手がいないのだ。

ここで言う日本ボクシング界というDNAを受け継いだエースというのは、いわば具志堅用高や大橋秀行・辰吉丈一郎または最近だと長谷川穂積といった「時代を代表する象徴」というイメージの選手のことを差す。

今のボクシングを見ていて山中慎介や井上尚弥・内山高志というのは強いといえば強いが、日本ボクシング界の伝統というDNAを受け止めた時代の寵児なのかといえば申し訳ないがNOである。

誤解してもらいたくないが、彼らの実力は十分認める。ただ、彼らがボクシングの門外漢にまで影響を与えていけるだけの訴求力のあるファイトが出来ているのか?という話だ。

ボクシング教原理主義者だった筆者が、棚橋弘至のメッセージを感じて新日のチケットを買わせるように、今のボクシング界のトップ選手に、プロレスや他のスポーツのファンにまでチケットを買わせる影響力を発しているのか?である。

ここ何年かのボクシング界は亀田一家をdisることに終始していて、棚橋弘至が新日でやっていたユルいファンであるライト層の囲い込みをサボっていた部分がある。

「隣の芝生は青い」ではいけないのだが、今のボクシング界は内輪揉めではなく、新たな遺伝子を継いだボクサーやファンの存在が必要である。殻にこもって「コップの中の嵐」で終わってはいけない。