①ではアスリートに対するコトバの力(ちから)の可能性を述べた訳だが、②ではもっとその部分を掘り下げていきたい。

コトバの力という意味で心に残った言葉は、先日読んだ「宇宙兄弟」でネット上でバッシングされていた宇宙飛行士の伊東せりかが「発する言葉は〝自分自身〟なんだって。皆がネットで打ち込む文字も結局〝その人〟でしかない。鏡を見てるってことに気付いてない人が多いだけ」と言っていたが、ネット上の匿名のバッシングも励ましの言葉も全て発信した人の〝心の中身〟である、という意味で物凄く考えさせられて、なおかつ感動もした言葉だった。

話をアスリートに戻そう。子供に夢を与えるという意味でもアスリートは宇宙飛行士と同じである。

これからのスポーツビジネスは、こうしたネット上のSNS全盛時代にどれだけアスリートは自分の言葉を磨けるか?という話だ。

そういう意味で、自分の言葉を磨いて成功したスポーツビジネスといえば新日本プロレスである。

筆者は今までプロレスには全く興味はなかったが、新日の棚橋弘至が発する言葉に興味を覚えて新日の試合を見に行こうと思うまでになった。

以前、このブログで「プロレスラーの発信力」と言うタイトルで棚橋を中心とした新日のレスラーが、試合の告知を団体のHPだけで終わらせずに、テレビや地域FMラジオ・雑誌・フリーペーパーなど様々な媒体で繰り返し発信することの重要性を述べたが、棚橋の場合は普通のレスラーの倍以上に「言葉」を発している分、その言葉の力が磨かれ、それが巡り巡って新日のV字回復の原動力になった部分もある。

今回は言葉の問題について考えてみたが、普段読者の方々もネット上で何かしら発信しているでしょうが、自分の発する言葉の力について考えてみるのも一考である。