①では国旗と国歌におけるスポーツと政治の関係性を述べた訳だが、まだそうした話はいっぱいある。
1995年7月30日WBCバンタム級戦で薬師寺保栄に引導を渡したウェイン・マッカラーは北アイルランドの選手だった。
そしてこの時も主催者は国歌斉唱&国旗掲揚を取り止めた。
北アイルランドを含めたイギリスという地域は政治的・宗教的に極めてデリケートなところである。
1920年にアイルランドが南北に分断され、北部のアルスター6州(北アイルランド)は当初アイルランドに入ることも考えだが、当時アイルランド国内で内戦があったため結局アルスター6州はイギリスにそのまま止まった。
しかし、北アイルランドの議会はプロテスタントに対して、アイルランド系の住民はローマ・カソリックと宗派が違うことにより、議会はカソリック系住民を弾圧。
こうした宗教的弾圧に抵抗したテロ組織が有名なIRAだった。IRAとイギリスの特殊部隊SASの抗争は長年続いた。
こうしたことにより1972年の血の日曜日事件など血で血を洗う宗教抗争が問題となり、「北アイルランド問題」と呼ばれた。
1998年に入り、全ての宗派や政党が加入した北アイルランド議会が成立し、イギリス、アイルランド政府によって「ベルファスト合意」がなされ、北アイルランド問題というのは収束した。
こうして国歌斉唱&国旗掲揚ということが普通のスポーツの国際大会では当たり前になされているが、そんな当たり前が簡単にできない地域も実は沢山あるのである。
日本という国に生まれた我々は幸せである。