①では卓球界の栄枯盛衰を述べた訳だが、翻って我がボクシング界というのも、そうしたそうした時代の移り変わりを如実に表した世界だった。

筆者がまだボクシングに興味を持つ前の1980年代に後楽園ホールで最強の外国人だったのは韓国人だった。

まだ韓流ブームが来るずっと前のコリアンファイター達は、韓国人という存在自体が市民権を得ていなかった分、ネットもなかったので「未知の強豪」というイメージが強く、実力の方もべらぼうに強くて実際に当時の東洋タイトルもどの階級でも総ナメしていた時代もあった。

しかし、そんな韓国人の絶対王朝も1988年のソウル五輪を超えてから急降下していき、そこからは一気に弱体化してしまった。

その後の1990年代に出てきたのは日本とタイである。日本も辰吉丈一郎と薬師寺保栄との世紀の一戦もあったが、その一方でタイも急激に力をつけ、軽量級の世界タイトルを集めまくっていった。

90年代は日本とタイがしのぎを削っていたが、その足下でこの2つの国の白星供給機械となっていた国があった。それはフィリピンである。

基本的にどの国の国内王者に勝っても東洋ランキングは手に入るので、無気力試合をするフィリピン王者もいた。そのためフィリピン王者とのノンタイトルの試合でも後楽園ホールは閑古鳥が鳴いていた。

しかし、そんなフィリピンにも光が差した。マニー・パッキャオがアメリカで成功し、パッキャオ自身が試合主催者に頼んで自分の試合の前座に3人のフィリピン人選手を起用してくれ、と自らがアメリカンドリームの道標になってから、東洋ボクシング界の盟主は完全にフィリピンになった。

以前だったらランキングや安いファイトマネーに身も魂も売るような無気力試合のフィリピン人も、とにかく頑張るようになったし、それどころか日本で勝つのも普通になった。

こうして卑近なネタで恐縮だが「時代は変わる」ということを説明した。何のスポーツでも同じだが、絶対最強で隙の一部もみつからないようなものでも崩れる時は脆く、全く長所が見えないような最弱な存在も1つのきっかけでグッと急成長することもある。「次はあなたの時代?」