今回のタイトルは見ての通り「門番(もんばん)」とあるが、甲子園や冬の選手権といった学生スポーツというのは選手の立場は皆アマチュアで皆基本的に頂点を何の迷いもなく目指し、(選手としての格はともかく)基本的にユニフォームを脱げば皆選手同士の立場は学生という意味で、敵味方関係なく平等だ。それがアマチュアスポーツの良いところでもある。
しかし学校を卒業して社会人になると、学生時代には想像もつかない価値観も存在する。今回はそれを紹介したい。
今回のテーマの門番であるがプロスポーツの世界では皆、必ずしも頂点を目指している訳ではない。
サッカー界ではプロリーグ発足後「Jへの門番」と呼ばれるチームが存在する。それは静岡県浜松市の大手自動車メーカー・ホンダのサッカークラブであるHonda FCである。
以前にもこのブログでも紹介したが、ホンダという企業はもともとJSL(実業団リーグ)で強豪チームを保有していた。
しかしプロ発足の時に、ホンダはスポーツビジネスとしてはF1に専念する為に、サッカーはアマチュアリズムを貫くことを発表した。
そうしたホンダのサッカーに対するアマチュアリズムの象徴が「Honda FC」だった。
ホンダはプロを目指していない為に、最高でもアマチュアの最高峰リーグであるJFLまでしか上がれない。そこから先はどんなに強くても、Jリーグが提示するカテゴリー毎のクラブライセンス制度をクリアしなくてはならないからだ。
その為にHonda FCは以前なら3部、J3発足後は4部リーグのJFLが主戦場なのだが、意外と実力は侮れない。
Honda FCに限らずアマチュアクラブという組織では、昼間は工場など一般労働をして夜に練習するのが普通だ。
しかしHonda FCの場合は親会社がサッカーに理解がある上に、大手企業ということもあり福利厚生も良い。
その為、衰退する地方経済という脆弱な基盤でのJ参入を目指すプロを標榜としたクラブよりも、練習環境はむしろHonda FCの方が上なのだ。
そうした中でHonda FCはJFLでトップの地位を守りながら、J参入を目指すプロクラブ予備軍への「Jへの門番」という役割を担い、「俺たちに勝てないならJでも通用しないぞ!」と、常にアマチュアリーグの中で睨みを利かしていた。
こうした環境の中でHonda FCは2007年の天皇杯では東京V・柏・名古屋と「Jクラブ狩り」という名のジャイアントキリングを続々と果たした。
準々決勝の鹿島にも、その年のJ1王者に肉薄するも0-1で力尽きるが、日本のアマチュアクラブの底力を見せつけた闘いでもあった。
アマチュアクラブの場合、経済状況の都合で親会社のサポートも変わっていくが、Honda FCというクラブは独自の路線で自分たちのカラーを示していた。
オトナになると若い頃には見えなかった価値観と遭遇する。Honda FCはそんな象徴のような存在である。