①ではある東洋の無名ボクサーが急に降って湧いた前髪しかないチャンスを掴んで、100億円以上稼ぐスターになった話をしたが、この金額までではないが、日本球界にも前髪しかないチャンスを掴んでスターになった選手がいる。
阪神を代表する4番打者だった掛布雅之。今年(2016年)から阪神の二軍監督に就任する彼もまた、こうした前髪しかないチャンスをモノにした男だ。
もともと掛布も①のパッキャオ同様に最初から注目株の選手ではなかった。
掛布が阪神に入団したのは千葉・習志野高校から1973年のドラフト6位指名がきっかけだった。
最初、誰からも注目されなかった当時19歳の掛布青年は、ロッカーに初めて入って自分の名前と背番号が入っているユニフォームに袖を通しただけで、「自分の野球人生はここがゴール地点として終わっても悔いはない。もう満足だ」と思ったらしいが、この先入団していきなり飛び出してきたチャンスから、この19歳に待っていたのは日本中のファンを驚かすような壮大なスケールの野球ドラマのスタート地点だった。そのきっかけを紹介する。
入団して開幕直前の時、当時の阪神で不動のショートだった藤田平がいきなり「結婚式(‼︎)」で序盤戦の戦列を離れることになった。
この19歳の掛布青年は「藤田先輩は何考えてんだ?」とメチャクチャ驚いたと言っていたが、当時藤田は相手の女性のお腹に赤ちゃんがいて(要はできちゃった婚で)、シーズンオフに式を挙げると逆に球団に迷惑がかかるから、という判断だった。
それだけだったらまだ掛布にお鉢は回らなかったが、これと同時期に(人の不幸は喜ばないが)レギュラーでセカンドの野田という選手の父親が亡くなって、掛布が初めてシーズンインした開幕戦でいきなり阪神の二遊間のレギュラー2人が一気に欠場する事態になった。
ここで2軍に二遊間両方を守れる選手はいないか?という話があり、掛布がいきなりの抜擢。
もともと失敗しても失うモノのない掛布は出場を選択。この先のシンデレラストーリーは皆知っているのでここでは書かない。
①のパッキャオもそうだが、後の名選手になれるというのは本人の予期しないところでのチャンスをモノにできるかどうかである。
チャンスというのは本人にとって必ずしもベストのタイミングで来るモノではない。タイトルにある「チャンス(の神様)は前髪(しかない)!」と言うが、一方で「勝利の女神はきまぐれだ」とも言う。皆もそのきまぐれな女神が与えるチャンスを掴む準備を常に怠るな!