①ではボクシングやムエタイの選手は意外と練習時間が長くなくて、むしろ短い時間で濃度の濃い集中した練習で結果を出していると言う話をしたが、球技でも似たような話がある。

サッカー元日本代表監督のハンス・オフトも「サッカーは90分しかしないのだから、ダラダラ長い練習で無駄な疲れを作るな」と居残り練習している選手を叱ったり、高校野球で横浜高校の渡辺元智監督も「自分の手にはノックのマメはない。ノックは数を打てばいいのではない。マメの多さは単なる指導者の自己満足だ」「オフも練習練習のチームが強いとは限らない」と、やみくもな拘束時間の長い練習を否定する名将は多い。

話は冒頭のタイトルの語学学習である。聞き流すだけで英語が分かる人もいるが、少なくとも筆者はそうした人間ではなかった。

そのため、外国語学習は書き取りや声を出しての音読がよくやった。

ここで言いたいのが、前述の「濃度」である。スポーツの練習に重要なのが濃度なように、外国語学習も濃度と集中力がキモなのである。ただダラダラ長いだけの勉強は自己満足に過ぎない。前述のノックのマメと同じだ。

翻ってみると日本人の労働も仕事の拘束時間の長さに、労働者が勝手に自己満足して、生産性を自滅するように落としている。日本人は「地獄の猛特訓!○○時間」と言うのが好きだが、それは仕事でも勉強やスポーツでも単なる指導者の自己満足だ。

もちろんスポーツなら野球の夏の大会前の練習漬けが必要な時期もあるが、365日練習が良い訳ではない。語学もダラダラ長い勉強が良いのではない。

仕事もそうだが、なんでも集中力と濃度を重視した労働でアフター5を楽しむのと同様に、外国語学習もスポーツの練習も集中力の濃さが最も重要なのだ。