〈①の続き〉時代を象徴する様なスター選手の転落。死体に群がるハイエナの様なマスコミのゴシップ記事もこのブログをupしている頃には収まっているだろうが、筆者はこの事件というのが単なるゴシップではなく、①でも述べた様なスポーツ界の「歪み」に見える。

背骨が歪んでいたら整体師が矯正する必要があるように、スポーツ界に蔓延する精神的な歪みもまた、(微力ながら)言葉の力で矯正したい次第である。

ではそうしたスポーツ界の精神的な歪みとは何ぞや?という話である。

それは「行き過ぎた結果至上主義」と「スター選手をマスコミのおもちゃにする姿勢」である。

①の続きを考えてみたい。まだ成人式も迎えていない様な青年をマスコミは面白おかしく取り上げて、(プロ野球選手の宿命とはいえ)衆人監視で異常な期待をかける。ましてや相手投手もついこの間まで高校生だった上に、注目されている選手を潰せば自分の名も上げられる。高校を卒業したばかりのこの甲子園のスター選手の進路はまさに修羅の道そのものだった。

以前山本昌は「プロ野球のマウンドは立っているだけで尋常じゃない精神力と体力を持っていかれる」と言っていたが、当然バッターボックスも同じだけのエネルギーを消費するのは容易に想像がつく。

そうしたプロの現場で常にアマチュア時代と同じ成績を要求され、しかも衆人監視で気が休まる時もない。それプラス入団時の因縁もマスコミのおもちゃの様に扱われる。

今回の件で容疑者が精神を破綻させ薬物に手を染めたのは、ある意味過度なプレッシャーと、情報を操作できる=神という勘違いをしていたメディアの責任にも見える。

犯罪者と同列に挙げてはいけないが、以前同じ巨人の江川卓の「空白の一日」事件で伊集院光が「あんな狡猾で巧妙な入団経緯を(当時)大学生だった江川本人が考えつく訳ないだろっ!」とアンチ巨人でありながら、日本のスポーツマスコミがいかに表面的でうわっつらしか見てなかったかということを糾弾していたが、今回の事件(これは犯罪だから重みが違うが)にも筆者は同じ匂いを感じる。

勿論今回は容疑者がやったのはれっきとした犯罪である。当然しかるべき刑に処されるべきだし筆者自身にも容疑者に対して怒りもある。しかしこの事件に関していいようのない違和感を覚えているのも事実だ。

日本のスポーツマスコミも若いアスリートをもてあそぶような報道はもうやめてほしい。スポーツ選手はマスコミのおもちゃではないのだから。