①では一見するとスポーツビジネスと関係のない少子化と教育の話をしたが、②ではそうした少子化時代の子どもの教育をスポーツビジネス界はどう向き合うかについて考えていきたい。

教育というと一見すると、机に向かって参考書と格闘するというイメージが強いが(それも確かに教育だが)、スポーツを上達させるプロセスというのもよくよく考えてみると、大の大人が日の高いうちに子どもを集めて特定の競技の動きを教え込むというのも、言ってみれば教育の一種である。

そうした日本人の「教育」の特徴を一言で表した人がいる。日本政治史を研究する傍ら、日本野球に興味を持った稀有なアメリカ人ことロバート・ホワイティングだ。彼は日本野球についてこう述べた。

「日本人の野球選手にとって、丸暗記は最大の長所であり最大の短所である」

ホワイティング氏のこの言葉が日本野球のみならず、他の競技やまた座学含めた一般の日本型教育の本質を突いている。

野球に限らず、日本のスポーツは監督(教師)がガミガミ言って決まり事を作り、それを守らせることを徹底させる。

しかし、ある一定の水準なら技術の向上も可能だろうが、そうしたやり方にも限界はでる(あたかも高度成長からバブル期を通過して、平成大不況という壁に20年以上ぶちあたっている日本経済のように…)。

そうした時代の①で述べた少子化時代に筆者な教育というのは「自分で考えさせる教育」である。

野球でそれが長けていた指導者と言えば、やはり野村克也監督である。

野村監督は様々な球団を渡り歩いた流浪の名将だが、彼はいつも熱心なミーティングの中で、選手に考えさせる教育に腐心した。

その際たる選手の1人が橋上秀樹である。右投手のスライダーが打てなくなった上に、ヤクルトの外野に飯田哲也や秦真司と言った強打者が入り込み、橋上は危機感を抱いで考えぬいた。「野村監督は自分が駒として見てどう使う?」

そこで橋上が思いついたのはvs左投手対策だった。飯田も秦も左打者。必然的に左投手との相性は悪かった。そこに橋上は目をつけ、打撃練習から左の打撃投手を使って左対策を徹底した。

野村監督は次第に相手が左投手の時は橋上を起用し、橋上自身も活躍。ヤクルトに無くてはならない存在となり、現役引退後も楽天やWBC日本代表のコーチや独立リーグ新潟の監督にもなった。

これからは時代、子どもにガミガミ言うだけではついてこない。指導者が自分の言葉で選手をその気にさせる必要があるという。そうした時代に野村監督の言葉でこのブログ記事を締めてみる。

「人を遺すは上、仕事を遺すは中。財を遺すは下である」