①では様々な世界で広がるグローバル化の嵐において、日本球界の自分の利権だけを考えた時代遅れの対症療法について述べたが、②では具体的な理由について見てみたい。

そもそも田澤という投手は倫理的に人間として何か間違ったことをしたのか?という話だ。

否っ!田澤はただ自分の競技者としての能力を世界最高峰のリーグで挑戦したいと考えただけだ。ましては田澤は社会人出身の投手。ドラフトの時は21歳で海外FAの取得期間は9年だから、日本で成功しても30歳での挑戦になる。

確かに大谷翔平は日ハムの活躍を見ると、日本でプレーして正解だったかもしれない。しかしNPBは野球選手を扱う上で、根本的な選手への尊重の念が欠落していて、「選手=消耗品」扱いに見える。

話を田澤に戻す。日本のトップレベルは田澤以外は皆プロ野球経由だから、投手で挑戦するなら大抵アラサーでのチャレンジになる。しかし、投手に肩や肘は消耗品。それはここ何年かのダルビッシュやマー君の勤続疲労を見れば一発でわかる。要は野手とは意味が違うのだ。

今のプロ野球のルールは投手だと自分のキャリアハイのピーク時にはメジャー挑戦できないという構造的な問題が内包している。

その構造というのは結局、選手の将来を守っているのではなく、プロ野球が何がなんでも守り抜きたいのはリーグ中枢の特権的エリートたちの利権だ。「選手の未来を守る」と言っても可愛いのは自分の身だ。その為の国内ローカルルールの規制(田澤ルール)である。

しかし今回のテーマに戻るが、グローバル化の時代に国内しか通用しないちっちゃな規制など、ゴミ同然だ。プロ野球のリーグ上層部が自分たち可愛さのために、選手に日本球界出戻り禁止というルールで脅しているだけである。

しかし上層部の脅し、いわゆる恐怖政治による市民の支配が破綻するというのは、歴史が教えてくれる。1989年のベルリンの壁の崩壊や1991年のソ連崩壊の理由は、当時の共産圏の政府が恐怖政治で物質豊かな生活を国内ローカルルールを作って規制していたが、人間の欲望は恐怖政治や規制でコントロールするのが不可能になり、そうした為政者のローカルな規制が市民の欲求に屈服したという事件だった。

話をスポーツに戻すとプロ野球の上層部(共産圏の政府)が市民(ドラフト対象のアマ野球選手)を恐怖政治(日本出戻り禁止の田澤ルール)で制御しようとして、今のところ選手を恐怖心でコントロールしているが、先のベルリンの壁と同様に恐怖心より好奇心や欲求(メジャーに挑戦したいという欲望)の方が大きいアマ有力選手の気持ちは、恐怖政治では永遠に制御はできない。

恐怖政治という力で維持されていたベルリンの壁が、豊かな生活という人間の根源的な欲求により破壊されたのと同様に、田澤ルールという恐怖政治の国内ローカル規制もいずれ、アマ有力選手の競技者としての欲求でいずれ破壊されていく。