①では日本社会というマクロ経済の観点と、スポーツビジネスというミクロ経済双方から、90年代の日本の劇的な社会環境の変化について述べたが、②ではそうした変化から何が生まれたか?について見ていきたい。

世界基準というグローバル化された価値観が生まれたことによって、何が発生したか?

それは国内だけの物差しがなくなり、顧客の対象マーケットというのが日本語しか喋らない日本人だけという狭いマーケットから、英語どころか中国語やアラビア語といった様々な価値観を持った言語を喋る、地球全体にマーケットが急速かつ広範囲にエリアが拡散された。

価値観の種類も情報量も一気に増えても、自分達の考え方や情報処理能力はすぐに変えられない。その為多くの日本の名門企業は急速に力が衰えていった。

一方で、それまでなら平々凡々な生活を余儀なくされた人間にも、多くのチャンスを得ることが可能となった。

スポーツの世界ならそれまで野球なら、日本のプロ野球という狭いマーケットで評価されなかったら、その時点で野球人生は終わりだった。

しかし野茂英雄が当時所属していた日本の球団と大喧嘩して「野茂は日本に居場所が無くなってもう終わりだ。現実逃避のメジャー挑戦など失敗に決まっている」と後ろ指を指されたアメリカ挑戦でまさかの大成功を果たしたことが、結果的に日本球界のパイ拡大につながり、ひいては日本野球のグローバル化へと導かれた。

またグローバル化によってチャンスが生まれた野球選手で思い出すのは元レッドソックスの岡島秀樹だ。

日本球界という狭い物差しだけだったら、しがない中継ぎで終わっていただろう岡島が、メジャーリーグのスカウトという国際標準での物差しが日本にも届いたことにより、メジャーのマウンドという夢にような場所で闘えることが可能となって、結果的に岡島はワールドシリーズのリングという、世界中の野球人の憧れを勝ち取ることができた。

「グローバル化」という劇薬は幕末の上喜撰ではないが、眠れなくなるほど強烈な効き目があったが、その威力は既存の日本社会(球界)の価値観を変えるほどの効果があった。