今回のブログテーマは使い古された言葉なので逆にダサダサな風にも見えるが、結局この言葉しかないので、敢えてこのタイトルにする。
いわゆるグローバル化という巨人が世界中をのし歩く時代になって四半世紀が経つ。
この考えが定着する前(1990年より以前)は、教育も研究もビジネスもどのジャンルでも、マーケットは日本国内だけを見ていれば良かった。
学業は国内オンリーの物差しである「偏差値」で、学者が研究するテーマも日本国内だけで収まる学会で、製造業でもサービス業とも顧客のターゲットは国内の日本人だけという閉鎖的なマーケットでシェア争いをしていれば良かった。
そうした一般社会同様にスポーツの世界もまた、野球だったら日本のプロ野球だけという閉ざされた社会で、自己完結していれば良かった。やる側も見る側も他の選択肢など考えられことがなかった。
マイナーなアマチュア競技は四年に一度の五輪だけ、ボクシングやプロレス・大相撲といったプロ格闘技は一部のマニアだけ、国際標準の最たる娯楽であるサッカーのW杯など日本社会は「ガン無視(完全無視)」だった。
しかしそんな日本人が自分達だけで固まっていられた幸せな時代にも終わりが来て、90年代に入りバブル崩壊。そして1995年に日本にWindows95が上陸。こうした国内外の急激な環境の変化が、江戸末期の開国の「太平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯 夜も眠れず(たった四杯の上喜撰[四隻の蒸気船]というお茶が、鎖国した日本の平和という眠りを覚まして夜も眠れない、という当時の風刺された川柳)」のように閉鎖的な狭いマーケットで、平和と好景気という二度寝のような惰眠を貪っていた日本人の目を叩き起こした。
スポーツの世界も、1993年のJリーグ開幕や同年のドーハの悲劇という強烈なインパクトの出来事から、スポーツしグローバル化が加速していった。〈②に続く〉