①では長々と野球の独立リーグという組織の形態が単なるスポーツの仕組みという話だけではなく、その存在そのものが時代を象徴するような部分を述べたが、②ではその独立リーグという存在を4回戦ボクサーにたとえて(ボクシングのルールを知らなくても大丈夫)説明したい。

このブログを読んでくれてる読者は、テレビでボクシングの世界戦を見たことがある人はいるだろうが、実際のボクシングを会場で見た人は少数派だろう。

ボクシングの試合というのはメインやセミファイナルのような、お笑いライブで言う「トリ」のような最後の真打ちのような試合だけではなく、会場の露払いをする前座選手の試合もある。

平日夕方の後楽園ホールで、会場にいる観客はまばら。4回戦ボクサーはそんな誰も見ていないようなリングの中で相手と拳を交えるのだ。

しかし、筆者含めて長年ボクシングを見続けている古参のファンはこうした4回戦ボクサーの試合を見ない(見られない?)のである。

というのも、ボクシングの全体の興行というのは一回につき3時間半くらいかかる。休憩もない場合が多い。

そんな中で4回戦の試合を見ていたら、メインの試合が楽しめない。コース料理の前菜だけで満腹になる訳にはいかないのだ。

しかし、では4回戦の試合は必要ないのか?と言えばやはり必要である。

最近は前座選手のなり手も減ったというが興行が赤字になっても無名選手に対して、試合に対する出場機会を与えないとほとんどのボクサーが4回戦で姿を消すが、それでも若手の機会が無いと次世代のスターの誕生は100%潰えてしまう。だから誰も見ない後楽園のリングで4回戦の選手は拳を交えるのである。

そこで思い出すのが最初の「独立リーグ」である。

独立リーグでプレーを続ける野球選手の99%はNPB(プロ野球)への入団は無理だ。

しかし学校を卒業したあとにプレーを続けられる選択肢があるかないかで若い野球選手の可能性というのは大きく変わってくる。

99%無理だと分かっていても1%の望みを託して貧乏しながら若者は白球に想いを託すのだ。まさに(競技は違うが)「諦めたらそこで試合終了だよ」の世界だ。

巨人の原辰徳監督(当時)が甥っ子の菅野智之の浪人時代の受け皿に、記者から独立リーグという選択肢に対して「あんなところに入れられるかっ!」と一蹴したが、しかしそうした野球という急速に縮みつつあるパイを維持するためには、そうした「あんなところ」な独立リーグが必要になるのである。