①では九州が様々なカテゴリーでのサッカーの激戦区で、鹿児島県もアマチュアでは負けてはないが、地元にプロの受け皿がそれまでなかったことを述べたが、②ではその受け皿の中身を見てみたい。

鹿児島県にはプロ入りを目指すクラブが2つあった。1つはヴォルカ鹿児島。もう1つはFC KAGOSHIMAである。

ヴォルカの方は①で述べたようにサッカーが盛んな九州で鹿児島にプロのトップチームがないのはおかしい、という声から地元のサッカーの有志が結成したクラブで、FC KAGOSHIMAは①で紹介した地元の鹿屋体育大学サッカー部の社会人チームがルーツである。

ヴォルカは地元有志の機運からスタートしたが、一時放漫経営からクラブ解散の危機があった。だが、鹿実サッカー部の総監督である松澤隆司氏がチーム立て直しの調整にあたり、最悪の事態は避けられたという経緯がある。この流れは「Jリーグクラブを作ろう!」(秋元大輔・ノースランド出版・2007年)に詳しく記載されている。

その後この2つのクラブがJリーグ参入を目指すものの、地元政財界からは「行政や経済界としてはチームを一本化して参入した方が支援しやすい」という声があり、本来なら対戦相手になる両チームは再三話し合いをし、何度か破談になりかけたものの、2014年のJFL(実質4部)から両チームが統合した鹿児島ユナイテッドFCとしてチームを出発し、2015年の同リーグで4位以内が確定し、今年から悲願のJリーグ参入を果たした。

まだ3部なので鹿児島ユナイテッドに代表選手がプレーするというのは、現実的な話ではない。

しかし①で述べた地元のサッカー強豪校でプレーした後、プロになって日本代表FWとしてドイツW杯のピッチに立ち、自分がプロ入りした時に地元にJクラブがなかったが、キャリア晩年に地元にJ2のロアッソ熊本でプレーできたという巻誠一郎の例もある。

鹿児島ユナイテッドもあと10年くらいしたら、前述の大迫勇也が地元に戻ってきてユナイテッドのユニに袖を通してプレーするのも夢ではない。

参考文献  俺たちの地域リーグ  ~サッカーなう~  サッカーなう編集部  ギャラクシーエージェンシー  2013年