筆者もこうしたスポーツビジネスのブログを書くようになってもうじき3年に到達するようになる。

「スポーツビジネス(スポビズ)」と書くと一見すると派手でスタイリッシュ、そして華やかなイメージを持つ人もいるかもしれない。

しかし、実際のスポビズという世界は(この世に数多ある様々な商売と同様に)、地味で単調でキツいそしてやらずに済めばやりたくないが、でもやらなければいけないような一般のサラリーマンの苦悩する仕事と同じようなモノである。

そうした(どの仕事でもある)苦しい負の部分が作業の大半なのは、普通の仕事もスポビズも共通するが、それと同様にこれら2つの業種に共通する他のことに「(これらの仕事はどちらも)人と人との繋がりが大事」という部分も同じなのだ。

筆者の精神の根底を成すサッカーとボクシングを長いこと見続けていて、スポーツビジネスという世界は(言葉は悪いが)、コネクションがないとどうにもならない世界なのはよく分かる。

2011年1月11日号の週刊サッカーマガジンで、こんな風刺があった。

「ジェフ広島、アルビレックス浦和、千葉グランパス、サガン横浜FC…」

これらの名前はもちろん正式名称ではなく、当時のクラブがどこのクラブのフロントに影響しているか?という皮肉である。

少し前の広島は連れてくる外国人も東欧系の選手が多く、当時の監督をやっていたミハイロ・ペトロヴィッチも旧ユーゴスラビア出身でジェフで名を成したオシム監督の一番弟子だった経歴を持つ。

それ以外でも引退したJリーガーが指導キャリア初期にユースのコーチをして、指導者としてプロの監督になった時にユースの選手も成人になり、そのユース時代の教え子を自分が指揮するプロのトップチームに引き込むと言う話もよくあることである。 

と、言うより若手のレンタル移籍の場合、そうしたコネクション無しで移籍するケースの方が珍しい。

他にもサッカー界で人の繋がりが大切なことはまだある。イビチャ・オシム監督がジェフ市原(現千葉)の監督だった時、ジェフと同時期に監督のオファーがあったが蹴られた天下のレアル・マドリー(スペイン)が「自分たちのオファーを蹴ってまで選んだアジアの無名クラブの実力はどのくらいのモノなんだ?」と2004年に国立競技場でレアルvsジェフという、今考えてもシュールな組み合わせの親善試合があった。

もともとオシム監督は「ビッグクラブの監督はフロントが我慢をしないから、すぐにクビを切られる。そういうところの監督はしない」と言うポリシーだったが、それにしてもこんな対戦カードはオシム監督の「人の繋がり」がなせる業である。

今回はサッカーの世界での移籍という人的な物資移動のルートが、人と人との繋がりからなるということを述べたが、次回はボクシングでそのことを考えてみたい。