①では日本では比較的メジャーな競技における柔道のエリート選手が完成するプロセスについて述べてきた訳だが、②ではそうした柔道エリートの育成システムの問題点について見ていきたい。
今回のブログタイトルで「メダルや賞状の価値」とあったが、この言葉と柔道エリート育成システムの問題点のどこにリンクするという話である。
前述の①で筆者の通っていた柔道部の先輩たちの柔道エリートの育成プロセスは既に述べた。
そうした地元の柔道エリートにとってのメダルや賞状と言うモノが、どういうモノだったかという話である。
彼らにとって柔道の試合で獲ったメダルや賞状というのは、非日常の栄光ではなく既に沢山有り余る日常品であり、早い話がメダルや賞状と言ったモノは山ほどあって、そうした存在に飽きていたのだ。
翻って①で筆者は昨今の柔道日本代表の五輪での好成績がないという話をしたが、地元の県レベルでの柔道エリートでさえメダルや賞状に飽きているのに、日本代表クラスの選手がメダルを人参作戦にしても、彼らはその人参(メダルや賞賛)は既に「食べ飽きている」のであり、全柔連の強化担当はそれに気づいていくべきである。
もちろん「五輪の金メダルは別格だ」という意見があるのは分かる。しかしここ数年の男子日本柔道の停滞は練習量が足りないのではなく、拘束時間がダラダラと無駄に長い練習でのカタルシスに問題点を感じる。
以前日本柔道のトップ選手だった男子100kg級の鈴木桂治が北京五輪でつまらない負け方をしていて、メディアが「メダルへの執着心が足りない」とバッシングした話があったが、鈴木桂治のような柔道エリートにとって既に(五輪含めた)メダルやトロフィーのようなモノは実家の物置などに山のようにあって、モチベーションアップにはならないくらいそうしたモノは余っている(あくまで想像だが)。
こうした選手のバーンアウトに対する解決策としては、同じ柔道の金メダリストの野村忠宏のように、大会後に一時引退宣言して2年ほどサンフランシスコへ留学して、大会直近の2年でモチベーションの戻った状態での濃度のある練習で、再び金メダルを獲得したような、いわゆる「充電期間」を設けて、リフレッシュさせた方が良かった。
日本人はスポーツに限らず何事にも真面目だが、時にその真面目さが自分のモチベーションを侵食していくことも、指導者は考慮しないといけない。さもないと燃え尽きるエリートの増加は止まらなくなる。