今年(2016年)は五輪イヤーの年である。この国にあるほとんどのスポーツにその競技の中での有名人はいるが、あくまでその「有名人」という枠が業界限定での話だったのが、この4年に一度の祭典で結果を出せば、広くその競技に関係のない人間にも知名度が伝わるので、どの競技の選手や関係者も意気込んでいる。

そうした4年に一度の晴れ舞台に注目されるスポーツに柔道がある。

柔道はここ数年のトップ選手の不祥事や体罰問題の発覚、また国際大会で結果を残せてないという様々な問題が露呈して、このリオ五輪での(色々な意味で)捲土重来を期しているのが、柔道から離れて久しい筆者でもヒシヒシと伝わってくる。

そうした逆風が伝わる日本の柔道界であるのだが、前述の日本柔道がうまくいってない理由の1つに、今までの国内選手の強化に対する行き詰まりに全柔連が気づいていない(もしくは気づいてはいるが、強化の仕方を変えるのが怖くて保守的になっている)ところを感じる。

筆者も中学時代にそれなりの強豪校の附属中学にある柔道部だったから、柔道強豪校の雰囲気を多少は知っている。

こうした柔道部の選手というのは、小学校時代から地元の町道場で柔道着の袖を通し、かなり早い段階で柔道エリートとしての「純粋培養」をスタートさせている。

そうした中から町道場→中学の柔道部→高校の柔道名門校と言う柔道エリート製造工場というベルトコンベアに乗せられて、どんどん柔道に特化したトップアスリートになっていく。

しかし、そうした柔道エリート製造工場での純粋培養が逆に今の柔道家の育成の足枷になっている。冒頭のブログタイトルを含めた今の柔道界の問題について、②で述べていきたい。