①では世界のプロラグビーの流れから起こった新たな問題について述べてきたが、その時に述べた問題というのが今の(スポーツを超えた)日本社会に対する問題と重なるということを②では進めていきたい。

今更ではあるが今の日本社会というのはネット社会である。前にもこのブログでも書いたことだが(日本に限らず)どこでもネットありきの社会システムが構築されている。

またインターネットに限らずスポーツを含めた何かの娯楽(音楽や映画・漫画)でも1つのコンテンツに対して、複数の選択肢を提供するのが当たり前な時代になった。

分かりやすい例を挙げると有料のテレビチャンネルである。

筆者は以前WOWOWと契約していたが、その時にWOWOWはそれまで1つだったチャンネルを3つに増やし、映画やスポーツ・音楽などにチャンネルをコンテンツごとに細分化させてきた。

それを知って筆者は「あまり意味のあることではないな」と感じた。

なぜかと言えばWOWOWがチャンネル数を3倍に増やしても、どんな人間でも1日24時間なのには全く変わりはないし、その中で筆者の使える自由な時間や試合を見る時に、筆者の情報処理能力のキャパシティー自体は増えてないからである。

もっと言えばWOWOWの倍は情報量は3倍だったが、インターネットの情報量は文字通り桁違いになった。

20年前のインターネット誕生によって、それまで新聞やテレビなどに限定されていた情報収集の手段が、今では爆発的な増加になった。

①でラグビーがプロ化→筋トレの必要性によりラガーマンの筋力発達→しかし人間の衝撃に対する耐久性はそのまま→ラガーマンの怪我も激増、といった流れを伝えた。

それと同様にインターネット誕生→情報量の爆発的な増加→しかし人間の情報処理能力はそのまま→圧倒的な情報量に振り回されて、未消化の情報に現代人は身動き取れなくなり社会が混乱する、となって今の時代情報満載のコンテンツが迷いを打ち消す羅針盤から足取り重くする足枷(あしかせ)になりつつある。

世の中どんどん便利になって発達していくが、その便利な発明の光の部分だけ注目していくと、世の中を蝕む影の部分を見落とすことになるから注意したい。