①では地方都市の地域活性化とプロスポーツチーム設立のプロセスに共通点が多いことを述べたが、②では具体例について見ていきたい。

やはりプロチーム設立でイメージしやすいのはサッカーである。

現在はJ2クラブで北信越のツエーゲン金沢というクラブの設立者である中村篤次郎(なかむら・あつお)氏はもともと東京の外資系不動産コンサルタント会社に勤務していた。

その中村氏が転勤先の金沢で少子高齢化に悩む地方都市で、地域のシンボルを作ろうとして設立したのがツエーゲン金沢だった。

当然収入は激減して、嫁はしばらく口をきいてくれなくなったという。地域リーグ時代には既にブラジル人選手の補強をしていたツエーゲンは、クラブ運営も金が掛かる中で「(後援者が選手用の)中古の冷蔵庫や米の差し入れをしてくれたり、(選手を)食事に連れて行ったりしてくれて経営をやっていった」「東京はビジネスのチャンスは多いが価値観がお金中心だ。でも金沢はお金は少ないが人と人との繋がりを感じるのが有り難い」とあった。

そうした状況で金沢はとうとうJ2まで参戦できるようになった。

昨年(2015年)からJ3参入を果たした神奈川のSC相模原の代表の元日本代表である望月重良氏もタイトルのように相模原に縁もゆかりもないよそ者(静岡県静岡市出身)だった。

望月氏がクラブ設立したきっかけも、たまたま相模原の飲食店で食事していた時に、その店のオーナーに相模原にスポーツチームが欲しいと言われたから引き受けたのが理由だった。

相模原は人口70万人を越える大都市が、市民の帰属意識が地元ではなく東京にシフトしていた。そうした衛星都市特有の悩みに、望月氏が元代表というアドバンテージと若者特有の行動力で、設立わずか 6年でのJリーグ入りという離れ業をやってのけた。

こうした事例は他の競技でもある。bjリーグ2年連続ファイナル進出の強豪、秋田ノーザンハピネッツの代表である水野勇気氏も20代でこのチームを設立した。

水野氏は東京出身で秋田県にある国際教養大学に進学し、学内で義務付けられている海外留学で豪州の大学に1年間勉強した時に、人口2000万人の豪州でもプロスポーツリーグが5つある現状を知り、帰国後に少子高齢化の秋田県でもスポーツチームを作れないかと考えた。

そうした中で秋田県には超名門の能代工業もあることからプロバスケチームを選択。署名活動をして、金沢の中村氏同様の貧乏生活をしながらチーム設立に奔走。そうしてできたチームはbjリーグの強豪として頭角を現し、2016年の統一プロバスリーグBリーグでもハピネッツは1部からのスタートである。

こうしてプロスポーツチームを設立した「よそもの、わかもの、ばかもの」を見てきた訳だが、彼らを馬鹿者呼ばわりするのは否定してるのではなく、むしろ男の憧れであるスポーツビジネスに裸一貫で飛び込んでいく度胸に敬意を示すがゆえの逆説的な表現である。

こうした勇気ある人材が停滞する街を変える起爆剤になる。

参考文献  股旅フットボール  宇都宮徹壱  東邦出版  2008年

全く0からのJクラブのつくりかた  サッカー界で勝つためのマネジメント  望月重良 東邦出版  2015年