①では日本のアマチュアチームに来た外国人監督について述べたが、②では日本全体「外」に出た日本人指導者を見てみたい。

日本の外に出た日本人指導者と言えばロンドン五輪サッカー韓国代表のフィジカルコーチを務めた池田誠剛氏が有名だ。

この大会では3位決定戦で韓国人選手が、政治的なメッセージが書かれたボードを掲げて物議を醸したが、そうした政治的な部分より池田氏が海を渡っていった部分をフォーカスしたい。

もともと池田氏が韓国の五輪代表になったのは、Jリーグを経験した韓国人との繋がりからであった。

Jクラブとの契約が切れる頃に、当時韓国五輪代表の監督をしていた洪明甫から自分の指揮するチームの体力強化を依頼されたのがきっかけだった。

もともとJ時代からの縁から韓国代表に加わった池田氏だが、こうした日本サッカー界のボーダーレス化が進んでいきナショナルチームまで隣国の人間がいるということは、指導者の世界にもグローバリズムが進んでいるのが分かる。

他にも小平の朝鮮大学校にもチームの強化のために、GKコーチに日本人が入閣したり、ラグビーで花園のある大阪の大阪朝鮮高校にも「外国人(日本人)指導者」が入ったという話もあった。

韓国系のチームに入った(向こうから見たら外国人の)日本人は皆「韓国人は皆上下関係も横の関係も人の繋がりを大切にする」とあったが、ボーダーレス化した現代において、多文化共生を可能にするのは意外と人間の匂いがする縁(えにし)かもしれない。

参考文献  日本人初の韓国代表フィジカルコーチ  池田誠剛の生き様  元川悦子著  KANZEN 2013年  、雑誌NUMBER  2010年1月21日号