前回は日本のスポーツ界においてアスリートの国籍がボーダーレス化したことを述べたが、実は日本のスポーツ界が多国籍化したのは選手だけでなく指導者も同様である。そのことを見ていきたい。
今回使う資料は少し古いのだが、それでも日本のスポーツ指導者がグローバル化しているのは事実なので、それを考慮してもらえると幸いである。
日本のスポーツ界で指導者がグローバル化したというのは、やはりサッカーなのではと筆者は見ている。
高校サッカーの名門である兵庫県の滝川第二(滝二)がドイツ人指導者であるゲルト・エンゲルスが同校サッカー部の監督になったのを覚えている。
エンゲルスはのちにプロJ1のジェフ市原(当時)の指導もしたのだが、エンゲルスの場合、ステレオタイプでモノ考えてはいけないが、サッカーの練習より学校の試験を優先する高校スポーツによくある「勝負師」タイプというより「教育者」タイプであった。
他にも以前慶応大学ソッカー部(サッカー部)で指導していた韓国人チェ・ウヨン監督(現在の同校の指揮は日本人監督)も、他の大学サッカー強豪校のようにスポーツ推薦や常任の指導者が(当時は)いない中で、部員の意識改革が難しかったと話していた。
こうして見ると、海外の監督でも技術面もさることながら、メンタルの部分も日本に来た外国人指導者は見ていた。
②では日本の「外」に出た指導者を見てみたい。