①では今のJが激変する世界のプロサッカー界で過密日程という問題に直面しているが、②ではネックになっている天皇杯の決勝がなぜ元日にしたかを見てみたい。
そもそもなぜ天皇杯は元日決勝になったか?答えを先に言うと、「客を入れるための苦肉の策」だった。
知っての通り昔の日本サッカーというのは、今と違って本当に人気が無く国内最高峰の日本リーグでも観客が1000人程度だった。
当時のつぎはぎだらけの芝しかなかった国立競技場の観客席が、サッカーの試合で埋まるのはトヨタカップだけであった。
そんな閑古鳥が鳴くサッカーの試合で日本一を決める天皇杯決勝を元日にしたのは、国立競技場の立地に関係した。
と言うのも、国立競技場の近くには日本有数の参拝者が訪れる明治神宮がある。その明治神宮の元日での初詣に来る参拝者の数は約250万人。
その中の1%でも国立競技場に来れば2万5千人の観客が来る。
そうしたガラガラの観客席を埋めるために当時の日本サッカー協会は、苦肉の策で正月返上で試合運営をした。
ただ、それでも日本リーグ時代の天皇杯決勝はガラガラだったと、ベテランの関係者は言った。
翻って2016年である。昔は夢を見るのもおこがましいW杯出場もとっくに果たし、今や出場だけでは日本のサッカーファンは納得しなくなった。
このブログは2015年10月24日に書き溜めで執筆しているが、この日にやっていた2015年のJ1のリーグ戦優勝争いで、今年の天皇杯と同じの味スタであったFC東京vs浦和レッズの試合は、秋の土曜日で38952人の観客が調布に集結した。
昨日の元日決戦の味スタで何人集まったかは今の時点で分かるはずもないが、率直に言ってもう天皇杯決勝を元日に行う必要性はなくなった。
筆者のブログがどれだけのサッカーファンが読むかは分からないが、今日のブログに書いてある事実をみんなが共有して、Jリーグの過密日程の問題を考え直す必要がある。
参考文献 日韓ワールドカップの覚書 川端康生 講談社 2004年