①ではサッカーの世界でチーム運営の維持の為に地元住民に募金を求めた話をしたが、②では筆者がやってきたボクシング興行での募金について述べてみたい。

今年の夏に内藤大助が世界王者になるプロセスについて述べた訳だが、内藤大助が世界王者になるという話は内藤自身のボクサーとしての苦悩の他にも、ジムとして資金面でもギリギリの綱渡りのビジネスだったという話があった。

内藤が世界王者になったのは3度目の挑戦で成功したという話を前にしたが、初挑戦では開始1分前後で瞬殺され、2度目の挑戦では世界ランカーとして商品価値が無くなった内藤が粘り強い交渉で自国開催に繋げるも判定負け。

よく3度目の正直というが、この時の内藤大助の挑戦は本当に最後の挑戦であった。

その当時は世界的にも無名だった内藤は日本の地上波テレビ局にも見放されて、関係を切られていた。

そしてスポンサー収入も減って放映権料も計算できなかった内藤の所属する宮田ジムは、チケット収入の他に世界戦開催の為の募金活動をジムHPで募集した。

ボクシングの世界戦は放映権料やスポンサー料が中心でチケット収入だけでは成立しない、そして現代のボクシングビジネスにおいての世界戦興行は零細企業レベルのボクシングジムでは不可能だということは何度も説明したが、宮田ジムとしても自分の命を懸けた丁半博打のような世界戦興行で、資金をかき集める為に苦肉の策として募金活動に打って出た。

こうした血の滲む努力で興行の資金を確保した宮田ジムは、テレビ局も東京MXテレビが助け舟を出して放映権も確保し、3度目の挑戦に進んだ。

そして内藤大助は涙のタイトル獲得!そして亀田家との死闘で内藤大助も宮田ジムも一躍有名人となった。

こうして今回はボクシング世界戦での募金活動を見てきた訳だが、プロスポーツという世界は単なる憧れだけではやっていけない、とんでもなく過酷な世界なのだということが、この2つの募金活動からわかるのである。