①では団地マニアという珍妙な世界の魅力というのが、スポーツ界の内包する矛盾と実は共通するというところで話が止まったが、②ではその具体的な共通点を見ていきたい。
まず①のおさらいをするが、団地マニアにとって団地の魅力というのが「団地という建物は多くの人が住めるようにするための究極的に合理化した建物だ」「しかし住むために徹底的に合理化したら、違う無駄が出る。その違う無駄が面白い」だった。
これがスポーツの矛盾と何が似ているという話である。
この話で「団地→スポーツ」「多くの人が住む→試合での勝利」「究極的に合理化→勝つための徹底的な努力」に変えると、今のスポーツ界の矛盾や問題と話が繋がるのだ。
要は「スポーツにおいて勝利のために何もかも犠牲にして徹底的に努力すると、勝利の他に違う無駄(というより歪み)が出る」「その歪みが日本のスポーツ界の問題なのだ」という話である。
日本のスポーツ界は若い選手に無駄を省き徹底的な努力を求める。本来は学生の立場でも、むしろ学生スポーツで授業料を稼ぎたい学校側が生徒に授業に参加させずに練習や試合ばかりを強要する。
それどころか試合に勝つためには体罰や生徒が怪我を押しての試合の出場を「美談」にして強要する(本来は健康管理して生徒の体を守るための学校や教師が、生徒を集めて授業料を稼ぐために結果を求める)。
日本では教育界は聖職だから何でも許されるという歪んだ空気を感じるが、果たしてそうなのか?
実際にスポーツの強豪校に入ってベンチ入りできなかった選手や、怪我で体をボロボロになった選手の将来はどうするのか?という話である。
日本の野球WBCでの2連覇も、もしサッカー日本代表が仮にW杯で優勝しても、その栄冠にどれだけの価値があるのか?という話だ。
前回筆者がハマっている高校野球漫画「バトルスタディーズ」でも主将の烏丸(からすま)が、チームの勝利のために伝統を守るのか、チームの未来のために後輩を守るのかという難題に葛藤するシーンがあったが、超強豪校とはいえ18才の高校球児が悩む問題としては、あまりに大きすぎて重すぎる話である。少なくとも烏丸の倍の歳を取っている筆者にもこの問題は荷が重い話だ。
筆者もスポーツとお金の関連性を追いかけるブロガーである。烏丸のようにスポーツの世界の当事者という訳ではないが、今のこのテーマの中でも矛盾や葛藤を感じる。
今回のテーマは団地マニアというあまり馴染みのない世界から意図せずして深い話になったが、(団地マニアは別に何も悪くないが)こういう問題は簡単に正解がある訳ではないので、尚更難しい話なのである。