①ではあまりスポーツの話は少なかったが、漫画家の世界で才能だけの作家に限界があり、漫画家としての寿命を延ばすのには常にチャレンジする進取の気勢が必要だという話をしたが、ではアスリートにとっての人間力とは何なのか?という話をしたい。
アスリートにとっての人間力というのは、いかに地味でキツくて単調な基本動作の練習を毎日きっちり、内容のある練習をこなすことができるか?というところである。
「ハッ!何だ。独眼鉄っ!結局ありふれた答えじゃねーか(怒)。散々引っ張って!つまらん」とげんなりした読者もいるかもしれない。
しかしこれが事実なのだからしょうがない。アスリートにとっての人間力というのは多弁な口八丁で説明する能力ではなく、地味な努力をコツコツやる日々の行動力のなかに人間力が秘められているのだ。
筆者がやっていた柔道でも筆者がサボりの手段としてやっていた形(かた)の練習に武道の真理が詰まっていたのを引退してから気づいたり、ボクシングで世界王者になった人でも基本的なコンビネーションであるワンツーを極められない、とも言われる。
先日妙義龍の相撲で相撲は四股と摺り足(すりあし)、鉄砲が基礎と言ったが、妙義龍のみならず白鵬も名横綱になってもこの基本練習は重要だと言っている。
先日引退発表した中日の山本昌も野球の投手の基本はキャッチボールだと言い、必ず相手の胸に確実に送るようにして、ボールへの指の掛かり具合や踏み込む足の位置、体のバランスなど、キャッチボールという練習ひとつでいくらでも注意する点は見つかると言い、キャッチボールが上手くいかなかったらピッチングも当然上手くいかないと仰っていた。
だからこそ山本昌の場合、ドラフト5位の高卒叩き上げから、10年どころか32年もプロ生活をやってこられた。
先日、ある筆者が敬意を持つ漫画関係者も、先天的な素質より粘り強い精神面の方が漫画家として大成する要素があると仰っていたが、スポーツの場合はある一定の身体能力も必要ではあるが、結局自身の素質を開花させるのには、文化系も体育会系も基本線としては同じなのだ。
こうして色々な世界で過酷な環境に淘汰されないように適応する為の手段を見てきたが、結局当たり前の努力を当たり前にやり続ける。そしてその当たり前の努力の継続が意外と難しいのだ。