①では筆者の柔道時代の天才について述べたが、②ではまずボクシング時代の天才を見たい。
筆者がキャリアの晩年に在籍していたジムのボクシングセンスの塊のようなプロボクサーがいた。
そいつは筆者より小柄だったが、その分機動力が高くそいつとのスパー(実践練習)では全く手が出ず、スパーの後に筆者がぜいぜい息を乱す横で「独眼鉄さん。少しは手を出して下さいよ。こっちの練習にならないから」と息ひとつ乱さずに涼しい顔で言った。
練習生同士とのスパーならそこそこだった筆者も、プロだと全く敵わずプロとアマの分厚い壁を感じ、筆者自身この分厚い壁を沿って歩くことしかできなかった。
そんな相手だったそのプロボクサーも一番下っ端の4回戦にも関わらず、他のジムの世界ランカーがそいつのボクサーとしての潜在能力を見込んで、出稽古のスパーを申し込むような素質がそいつには備わっていた。
…しかし…
そのボクサーは最終的には4回戦止まりで現役生活を終えたのであった。
その原因は「女」だった。そのボクサーは男子更衣室で着替えてる時も、中の良い練習生と女の話しかせずに、練習の後話す機会が会った時に「よその格上ボクサーとのスパーの約束があっても、自分の彼女の為だったらそのスパーをドタキャンするっ!」と豪語していた。
女性が恋愛対象として見るのだったらそいつは理想だろうが、ジムの会長やトレーナーにしてみれば頭痛の種に過ぎない。結局ボクシングと恋愛の二者択一でそいつは恋愛を取ったのだ。
こうして筆者の格闘技生活で見てきた天才を紹介してきたが、皆才能という面ではずば抜けた素質があった。しかし彼らはその天賦の才を生かすことができなかった。
筆者は格闘技の世界で20年以上も「下の下」という存在に甘んじてきて、筆者自身は繰り返すように才能は全く無かったが、しかし今見てきたように格闘技という世界に才能というのは必要条件かもしれないが、才能だけあれば十分という訳でもないのだ。