今回の冒頭のタイトルは、あるボクシング東洋王者の言葉である。

筆者のブログの読者ならよく分かると思うが、筆者は昔ボクシングをやっていたが(東洋どころかアマチュアの試合も出られなかったが)、若いボクサーは皆多かれ少なかれ夢を持つ。もっともそれは他のスポーツや別の娯楽(映画俳優やミュージシャン、お笑い芸人、漫画家)も同じである。

しかし先の東洋王者は「どんな夢にも寿命がある」と言った。

ここではボクサーに焦点を合わせて話すが、ボクサーという生き物は自分が赤コーナーに立っている時、対角線上にいる青コーナーのボクサーを倒すことしか考えない。

自分の夢の寿命を延ばすには青コーナーにいる相手のボクサーを倒して、その男の夢を喰って自分の夢の寿命として継ぎ足して、自分の夢に対して「延命」するのである。

自分の夢が叶うまでただなんとなくダラダラと続けるのではなく、試合というのは自分と対戦相手という2人のボクサーが、1つしかない夢を見続ける権利を奪い合う一種のサバイバルマッチなのだ。

ボクサーがどれだけ際どい(競馬で言う)鼻差のような判定で勝ちを拾っても、戦ったあとレフェリーから勝ち名乗りを受けて会場から拍手を受けたボクサーは、相手の夢の寿命を糧にして自分の夢を見続ける権利を得て、夢を繋いでいくのである。

今回は自分のバックボーンであるボクシングの話をしたが、夢の寿命を維持する為のシステムそのものは他の競技でも同様だ〈②に続く〉