今回は根本的なスポーツビジネスの違いを考えているが、同じスポーツビジネスでもヨーロッパとアメリカでは大きな隔たりがある。
以前このブログでも述べたが、サッカービジネスという世界でドラフト制度というシステムは形骸化してしまい、本来の意味がない制度になる。
それは韓国のKリーグのように、リーグ内のドラフトでクラブ社長が交渉権を獲得しても、有望な韓国人選手が強力な競合リーグ(Jリーグ)に行くと言ってしまえば、ドラフトでの交渉権は紙屑同様である。
その為、Kリーグもこれからは自由競争で選手を獲得するようになった。
サッカーもアメリカのMLS(Major League Soccer)のようにドラフト制度が例外的に存在するが、基本的に最も国際化したサッカーというスポーツは、ヨーロッパにとっての宿命のライバルであるアメリカが主導した思想である「グローバル化」と「(チームの経営は)自己責任」を体現したのは皮肉である。
それはドラフト制度だけでなくチームの運営もサッカーは自己責任のシステムだ。本場ヨーロッパのサッカーリーグでもクラブ(チーム)が経営難になってもアメリカのスポーツリーグのように弱者救済の考えはなく、フィオレンティーナやパルマのように経営破綻も普通である。
逆にアメリカの魂である野球やアメフトというのは(価値観の問題もあるが)、ローカルルールの下でドラフトウェーバー制度(前シーズンの最下位チームからドラフトの優先順位が与えられる。こうすることによりリーグ内の戦力均衡が可能になる)やサラリーキャップ(リーグに所属する選手の最低賃金を保証するシステム。リーグが賃金を保証することにより、リーグ・チーム・選手が運命共同体となってリーグ運営に協力し合える関係になる)など、アメリカのスポーツビジネスというのはそれこそ少し前の日本企業の護送船団方式そのもののビジネスモデルである。
またアメリカの場合、弱小のチームが赤字経営するとリーグが一旦そのチームを買い上げてリーグが管理して、別の大都市の富豪に高値でチームを販売することもある。
これを「中古車のレストア」と皮肉った人が言うが言いえて妙である。
それにこの仕組みは日本の大手銀行が経営難になった時に、日本政府が銀行を国有化したことがあったが、このアメリカのスポーツリーグとチームの関係も弱者救済のシステムとしては同様だ(少なくとも自己責任のシステムではない)。
こうして世界のスポーツリーグの運営も地域によってまちまちだが、何度も言うが世界中にグローバル化を推進しようとしたアメリカのリーグ運営が護送船団方式で、高税率&高福祉国家の多いヨーロッパのサッカーがアメリカナイズされた自己責任という思考で成り立っているのは本当に皮肉である。