①ではスポーツのブログなのに一見関係の無い食べ物と音楽から事例を引っ張り出したが、②ではスポーツにそれらを関連づけて考えていきたい。

まず①に述べたように偉大なサッカー漫画の例を挙げたいが、このブログの読者なら既に教科書のように読んでいるだろうが、アラサー&アラフォー男子のロマンを体現したようなプロサッカー漫画「GIANT KILLING」の36巻で作中の日本代表のブラン監督が甥っ子のフィリップの結婚生活が円満にいくことと、代表チームの強化には実は共通するモノがあると言った。

「結婚したから安定していると思ってたの?妻が髪を切ったことに気づいて褒めてあげたのか?彼女の手料理にちゃんと感謝してたのか?」

「気付かないようで日常は絶えず変化しているんだ。(妻の)アンナの心も。君の心も」

「慣れるほど怖いモノはない。絶え間無い努力の先に幸せがある」と言って、

「代表チームの強化もメンバーを固定した方がやりやすい。しかしそれだと先の甥の結婚生活同様に慣れができて、選手に慢心ができる」

「それを無くすには選手間で競争を促す必要がある」というブラン監督は言った。

この言葉は別の偉大なプロサッカー漫画にもある。能田達規の2部リーグのプロサッカー漫画「マネーフットボール」でも、主人公が所属する愛媛イーカッスルの若手新監督の大月雅史監督が、

「愛媛のチームカラーであるポゼッションサッカーは幻想。今までの自分たちの過去のスタイルに固執していても勝てなくては意味がない」

「(チームのある)愛媛が生んだ有名な俳人の正岡子規が『諸行無常(この世のモノは絶えず変化し、同じ形を維持するモノはない)』と言っていたが、100年以上経った今のプロサッカーの世界にもこの言葉は通じる。このサッカークラブも然りだ」というあった。

諸行無常という概念は正岡子規の何百年も前に鴨長明が方丈記の中で「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず 流れに浮かぶうたかたの  かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし」と言い、そこから明治時代に正岡子規がこの言葉を再発見し、そこから愛媛のサッカー監督が自分の若い選手たちにこの言葉を説いた。

この諸行無常という考えは実際のサッカー界でもあって茨城県の大学サッカーの強豪である流通経済大学の中野雄二監督が「スタイルが無いのが流経大のスタイル。あるスタイルを確立してしまうと、卒業してプロになった選手が他のスタイルに馴染めなくなってしまうと選手の能力を活かせないのでは困るので」とあった。これも一種の諸行無常である。

①では一見するとスポーツと何の関連性も無い2つの話を引っ張り出したが、②で述べた2つの偉大なプロサッカー漫画を例に出すように、音楽でも食べ物でもそうであるように、諸行無常というのはサッカーのみならず全てのスポーツに必要な哲学である。

筆者含めて変化することは確かに怖い。しかし世の中はそれこそ諸行無常で、終わった時代遅れの成功に執着し過去にこだわることの方がよっぽど危険なのである。