今回のブログは最初スポーツとは全く関連性の無い2つの事柄から事例を出すが、これらはスポーツの世界に通じるので、最後までご静聴をお願いしたい。

まずはじめに唐突だが日清のカップヌードルからはじめる。赤と白のパッケージのあれである。日本人でこれを食べたことが無い人はいないだろう。1971年に発売されて、40年以上変わらない味である。

…しかし…

日清製粉の製品管理を担当する人の話だと、日清カップヌードルというのは毎年麺の小麦粉や乾燥肉・乾燥海老の種類、調理方法など定期的にマイナーチェンジしているのである。

つまり、自分たちが食べ続けているカップヌードルというのは40年以上全く変化が無い変わらない味だと消費者は思っているが、実は変化しつづけているのだ。

そこから話は飛んで食べ物から音楽になるが、筆者が愛読していたフリーペーパーR25の2013年6月6日号で郷ひろみがインタビューでこんなことを言っていた。

「ファンの皆さんは『郷さんは変わらないね』とよく言いますが、僕(郷)は誰よりも変わってきたという自負があります。例えば音楽はこの数十年でアナログからデジタルに劇的に変わりました。支持されるテイストもジャンルも多様化した。僕はその波に晒された世代ですが、それに対応してきたという自覚がある」

「今みなさんが変わらないという言ってくれるのは、僕が変わってきたからこそだと思うんです」

別にこのブログの読者が郷ひろみの音楽に同調しなくても良いが、この発言も先の日清カップヌードルという仕組みは同じである。歌でも食べ物でも、一見変わらないと思われてるモノは実は絶え間無い変化と努力の結晶なのである。

こうして今、一見するとスポーツと全く関係の無い2つの事柄を例えに出したが、実はこの2つの話というのはスポーツに携わる人間にとってのは夢である「常勝」に必要なエッセンスが含まれている。

常勝という長年「変わらない(不変)」結果を出すには、常に戦術や戦い方を「変化」させるのが不可欠なのだ。

「変化」をし続けるというのは昔の言葉でいうと「諸行無常」である。②では偉大なサッカー漫画からこの諸行無常の必要性を述べたい。