①②では海外の想像もできないくらい苦しい環境から這い上がってこようと人間を、③では国内の厳しくてタフな世界からサッカーのプロ契約を勝ち取った話をしたが、④ではJFL得点王のアマチュア時代の苦しい環境での生活を見てみたい。

塩沢勝吾という選手は国立大学(山形大)から2006年にJ2水戸に加入。2007年には7得点をあげていたが、翌年に水戸を戦力外。その時にJFLに所属していた佐川印刷SCに誘われ入団。しかしサッカーと別の仕事の掛け持ちは想像以上に厳しかった。

佐川印刷SCは企業チームだったので午前中に練習し、午後は工場に勤務。自分の時間がJリーガー時代から激減した中で、最も苦労したのがコンディション調整だった。

塩沢は「自分の時間がない中で体調に気を遣わなければならないので、それに慣れるのが大変だった」と言った。

塩沢は他にも「プロはサッカーだけで生計を立てる厳しさを経験したが、企業チームはサッカーと別の仕事を掛け持ちの生活も大変だという事が分かった」と語った。

しかしそうした強烈にタフな環境でもヘディングを武器にアマチュア最強のリーグで17得点を叩きだし、チームも初の一桁順位(9位)に食い込むことになった。

その後、長野県上田市出身の塩沢は2011年シーズンに、当時同じJFLに所属していた松本山雅FCに加入。アマチュアリーグで活動していたJFL得点王は元五輪代表監督の反町康治との邂逅(かいこう)やアキレス腱断裂という苦しみを克服して、今年(2015年)は日本のプロサッカーの最強リーグであるJ1のチームで10番をつけてプレーすることができた。

こうしてアマチュアリーグから這い上がってきたJ1の10番について述べた訳だが、国内のタフな環境で踠いて(もがいて)いる選手の沢山いるのである。

恵まれすぎている筆者の言葉にどれだけ説得力があるかは分からないが、今まで述べたようにスポーツで生活することというのは恐ろしいくらいのハングリー精神を持った選手に気持ちで勝つ必要がある。口で言うのは簡単だがこれまでのブログを読んでわかるように並大抵の努力では勝てないのだ。