①ではサッカーの世界で過酷な環境で闘う選手のことを述べてきたが、②では筆者の経験も踏まえて見ていきたい。

筆者が20歳の時、縁があって中国に行く機会があった。そしてある北京の名門大学の男子寮の中に招待された。

…ところが…

その寮というのが6人部屋で壁もベッドも机もボロボロ。灯りも暗く勉強する環境という意味では失礼ながらかなり劣悪で過酷な環境と言わざるを得なかった。

しかしそこの中国人学生というのはかなり高いレベルの日本語を(日本に行ってないのに)話すことができた。

前回の①の関係で言えば、中国の大学生がリテクスで、20歳の時の筆者が広島のサテライトであった。自分は何でもある環境なのに何もできず、彼ら中国人は何もない状態なのに何でもできるのであった。

それはボクシングでも同じだった。タイの世界王者を輩出したジムでも前座選手はあばら家みたいな建物で、筆者自身は綺麗なホテルの個室。前述の中国の大学生との図式と全く同じだった。

フィリピンのジムでは自分の端っこでサンドバッグやミット打ちをさせて貰ったが、フィリピンのジムの会長やトレーナーは筆者が払う月謝を決して受け取らなかった。

何とか気持ちを示したかった筆者の隣で、ジムの用具係(サッカーで言うホペイロ)が古くなったボクシンググローブに布を当てがって縫って補修していた。

筆者は当時自分が使っていたタイ製の安いグローブをあげると片言の英語で伝えたら、用具係は目をキラキラさせて喜んだ。

あまりに喜んでいたので、このグローブは安物のグローブだということも補足説明したら、フィリピンのジムでグローブがあることは何でも買える日本人(筆者)には分からないくらい重要なことだと用具係に力説された。

①で説明したリテクスのサッカー選手と全く同じような人間がアジアだけでも山ほどいて、自身のいる劣悪な環境から這い上がってこようと必死になってもがいている。そういう意味で若い頃の自分は恵まれていた。恵まれすぎていた。ただ若い時にアジアのこういうところに行く機会があった経験というのは、筆者にとってかなり幸運だった。

今の日本人は何でもある状態なのに失敗やリスクを恐れて何もできなくなっている。

昔、三遊亭円楽(六代目)が「若いうちの苦労は芸の肥やしだが、肥料が多すぎると菊は枯れる」といっていたが、今の日本人にとって苦労ではなく、何でも整いすぎた環境というのが菊を枯れさせる原因になっている。

世界中の人間がやせ細った土地で肥料も水もないようなところから花を咲かせようともがいている。

恵まれすぎている我々日本人は、這い上がってこようとする人間がいることを認識しなければならない。〈③に続く〉