①ではスポーツにおける不確定要素の在り方や、それに対してどう向き合うのかを考えてみたが、②ではその部分をもう少し掘り下げて考えたい。

何度も言うがスポーツというのは不確定要素の塊である。不確定要素とは何なのかというと、自分ではコントロール出来ない部分のことである。

しかし今の時代、リアリズム系スポーツ漫画の普及やインターネットによる情報爆発などの影響で、スポーツの試合というのは全てが自分で操作出来ると錯覚している気がする。

しかし人生も思い通りに計画に沿って進まないのと同じで、スポーツというのはどうしても思い通りにコントロール出来ないモノである。アウトドアスポーツでの天候などは、その最たるモノだ。

だからある意味、勝負の世界というのは一種の禅問答のような矛盾を抱えた世界で、思い通りにさせたい欲求と現実問題では全てが自分でコントロール出来る訳がないという、相反する真逆の考えがせめぎあいをしている世界である。

もっと言えば100試合あったら100勝を目指すが、必ず負けることがあることを受け入れてもいる矛盾の中で生きる世界である。

ただそうしたスポーツという社会の中で、勝利を手繰り寄せるには自分の住む世界(競技)の中で思い通りにならない部分をどうやって思い通りにするか?その為の努力というのが練習である。

ただ日本のスポーツの練習というのは具体性に欠けるというか、どこら辺のところの思い通りにならない部分(=不確定要素)を自由自在に操れるようにする(=確定された要素・出来る要素)のか、しっかりとした方向性が見えないのが気掛かりだ。端的に言えば自分(のチーム)の強みところ弱みを自分で理解していないということだ。

もっと言えば、スポーツでプロで使ってもらえてる選手はチームにおける自分の役割を理解し、具体的に自分が出来ることが分かっている選手である。

前にこのブログで「『頑張ります』は考えてない証拠」という言葉を紹介したが、スポーツの世界において、ただダラダラと拘束時間の長い練習で自己満足しないで、具体的に自分の出来ないこと(=不確定要素)を自分自身で理解して、それを出来るようにするのが練習で、試合では具体的に自分が出来ることを監督やチームメイトに説明して、自分の出番になったら自分の出来ることをやって役割を果たしてチームの勝利に貢献する。それがコントロール出来ない要素が多いスポーツの世界で必要なことである。

スポーツで勝つだけでなく社会で成功するには(前にも使った言葉だが)聖書の「汝自身を知れ」という言葉に集約される。

自分の短所(不確定要素)や長所(コントロール出来る要素)を理解していないのに勝てるはずがない。

今回は抽象的すぎて分かりづらいところが多かったが、日本人は(自分も含めて)不確定要素との向き合い方が下手くそな気がした。日本人にはもう少し自分自身と不確定要素との向き合い方を(スポーツのみならず)再考する必要がある。