今回のテーマは「現金化」というが経済的な要素というよりも、政治的・社会的な要素が強い感じがする話にするつもりである。
今、世界中で愛されるスポーツになりつつあるスポーツ。サッカー。そのサッカーというスポーツで最高峰のリーグがスペインリーグ。いわゆるリーガ・エスパニョーラというモノである。
その中でもレアル対バルサの試合は「クラシコ」と呼ばれ、イスラム教徒のメッカ巡礼ではないがこの試合を見た者はサッカーファンから羨望と尊敬を受ける。
「おいっ!独眼鉄っ!んなことは誰でも知っている!」とこんなサッカーファンの常識を今更筆者がドヤ顔で言う必要もない。
ただ筆者が今のメディアを見ていて気になるのが「スペインはクラシコ以外興味も価値もない」と言った、メディア特有の上辺しか見えない表面的な報道にある。
確かにクラシコはスペイン社会を代表する文化である。しかし一方でクラシコはスペインの文化的価値のほんの一部に過ぎない。
それを日本に置き換えると、例えばWBCで日本野球のファンになった熱狂的なアメリカ人の野球マニアがいたとする。
そのアメリカ人が休暇を使って、夏の甲子園と東京ドームの巨人阪神戦の伝統の一戦を見た。
その2つを見て、そのアメリカ人が「日本野球を学べた」と思うことは出来ても「日本文化の全てをこの2つで理解した」とはならないだろう。
日本人からしたら、アメリカ人が日本野球に敬意を払ってくれるのは有難いが、日本の文化がその2つだけという訳ではない。
真紅の大優勝旗も日本シリーズのチャンピオンフラッグも物凄く尊いが、日本文化がその2つに集約されている訳ではない。
話をクラシコに戻すと、今の日本のサッカーファンやメディアがやっているクラシコに対しての扱いというのは、さっきのアメリカ人の野球マニアがやっていることとまんま同じなのである。〈②に続く〉