バンディエラ(bandiera)…イタリア語で「旗頭」のこと。サッカークラブなどでそのチームに長年在籍したチームの顔のような選手を指す。

日本のプロサッカーという世界もJSLからJリーグと変わってプロとしての歴史が20年以上経過した。

そうした中で欧州や南米の物真似から入った日本のサッカーも、これだけ時間が経つとリーグにもクラブにも歴史や伝統というモノが出来る。

こうしたワインのような熟成された歴史というのが文化として昇華されるが、サッカーの場合文化の対象がヒト、つまり「サッカー選手」なのである。

そうしたサッカー選手を見分ける背番号というモノにどこのクラブのサポも思い入れを持つが、気がつけば日本のサッカーには背番号7のバンディエラが多いように感じた。それを書き連ねていきたい。

背番号7のバンディエラといえばどうしても、Jリーグではないが「GIANT KILLING」のETUの達海猛と椿大介を思い出してしまう(笑)。

達海の場合はリーグ初期のETUで期待もされて代表招集もされたが、当時のフロントの過度な重圧から潰れてしまい、最終的に怪我でひっそりと引退した。

その後、元同僚の後藤GMから請われてクラブに戻ってきた達海だが、キャンプ時にいきなり当時無名の椿を抜擢した。

椿は強豪校の控えから実業団チームに経由してプロ入りした当時は無名もいいところで、プレシーズンマッチで達海の付けていた背番号7も後継者という意味は全くなく、前年在籍していた元アルゼンチン代表のフェルナンドというポンコツ外国人が抜けてたまたま空き番号だったに過ぎない。

しかしそれからの椿の活躍というのは周知の通りである。

なぜこんなサッカーファンの常識を筆者がドヤ顔で抜かすのか?という話である。

まんま同じという訳ではないが、こうした話というのは他のクラブでも現実にある話である。

ベガルタ仙台一筋で2010年に現役引退した千葉直樹(現フットサル選手)もずっと背番号7でベガルタのバンディエラだった。

千葉の場合ベガルタがまだブランメル仙台と呼ばれていた頃、当時実業団だったブランメルがチームのプロ化が必要で、選手の世代交代をフロントは考えて主力を一斉に放出した。

そしてたくさん出来た空き番号でたまたま残っていた7番に高卒から何年かの千葉直樹へ回ってきた。

そんな「たまたま」空いていた7番がのちのベガルタの歴史を築く礎になったという話を聞いた時、筆者は千葉直樹の7番も椿のそれと一緒でたまたま空き番号だったんだ、となんとなく感じてしまった。

②では他のクラブでも見てみたい。