①では沖縄の野球の現場から出た指導における国語力の重要性を述べたが、②では大阪のボクシングジムで国語力がなかったが故に起こったことを説明したい。
戦争直後の大阪にあるフィリピン人の天才ボクサーがいた。名前はベビー・ゴステロ(以下ベビーさん)。ベビーさんはまだ世界的なボクシング統括団体が整理されてなかった頃の大阪のリングで大活躍し、デトロイトスタイル(間柴了の構え)のボクシングが盛んだった黎明期のリングで白星を量産した。
いわゆるベビーさんは良くも悪くも「天才型」「才能型」で練習嫌いやムラっ気が出ることもあったが、ツボにハマった時は日本人フィリピン人関係なく「人間じゃない(褒め言葉)」動きをしていた。
しかし、そんな天才ボクサーもご多聞に漏れずファイトマネーを散財して無一文になり、周囲の関係者がセカンドキャリアにジムのトレーナーを勧めた。
もともと外国人とはいえ日本に30年以上在留していて日本人への指導は大丈夫だろう、と関係者は思っていた。
…しかし…
ベビーさんは練習生を指導しようとしても、ちゃんと自分のスタイルを説明出来ず(元が天才というのもあったが)、イライラして感情的になってジムでトラブルが起こり結局トレーナーを辞めてしまった。
この顛末(てんまつ)を後に何年から経ち、関係者とベビーさんを知る領事館で働くフィリピン人が事件の原因について話していた。
フ「ベビーさん。かわいそうだった」
関「かわいそう?なぜかわいそうなの」
フ「ベビーさん、かわいそうだけど、言葉が出来ない。話すのはちょっと出来ても、書いたり読んだり出来ない」
関「知ってます。ベビーさん(最終的に)は大阪に半世紀以上住んでいたのに日本語の読み書きが全く出来なかったらしいですし…」
フ「違う。ベビーさんはタガログ語(フィリピンの公用語)も全く駄目だった。フィリピンで教育を受けてないから。話すのはちょっと出来ても読んだり書いたりは全然駄目です」
この話の下りを読者に聞かせて筆者は何を伝えたいのか?
ようは指導者というのはきちっとした国語力が無ければ、スポーツの指導というのは難しいのである。
筆者は外国語を勉強しているが、よく聞き流すだけでわかる教材もあるが、外国語を覚えるにも今のベビーさんの話でわかる様に、母国語(我々の場合は日本語)がしっかり出来ないと、外国語も習得出来ないし他者へスポーツの指導も同様に出来ないのである。
「日本語なんて日本人だからいくらでも出来る」と思うかもしれないが、ようは「日本語でもいいから、目上の人や配偶者を怒らせない様に、相手の反対意見としての自分の意見を自分の言葉で説明して納得させることが出来るか?」という話である(筆者も自信はない)。
山本五十六の言葉に「やってみて、言って聞かせてさせてみせ、誉めてやらねば人は動かず」という言葉があるが、昭和の名将も言っていたが、スポーツの指導でも何でもただ命令するだけでは人は動かないし、人の上に立つ人間は自分の言葉で説明して、下の人間を納得させないと高いパフォーマンスは得られないのである。
参考文献 拳の漂流 神様と呼ばれた男 ベビー・ゴステロの生涯 城島充 講談社 2003年