〈①からの続き〉前回は「頑張る」という言葉が実はスポーツで勝つ為の具体性が全くない、(いわゆる)思考停止の状態のことを周りに晒け出しているだけということを述べた。

今回はこのことをもう少し突っ込んで書きたい。

先日読んだサッカー本「組織で生き残る選手  消える選手」(吉田康弘・祥伝社新書・2014年・「組織」は「チーム」と読む)で「がんばります!は、考えてない証拠」とあった。

Jリーグという過酷な環境の中で、しかも選手の平均年齢が26歳という世界で、吉田氏は39歳まで現役でサッカー選手としてプレー出来た。だからこそこの言葉には重みがあった。

本人は取り立てた身体能力がある訳でもない自分が、こうした世界で40歳近くまでプレー出来たのは自分が「監督やコーチ、チームの主力選手に自分(吉田氏)が何を求められているか」を常に考えていたからだ、述べていたが、これからの時代にアスリートに求められるのはこうした「思考力」や「考動力」である。

あと思考力と頑張るという2つの言葉に関連するとして、一般の仕事にも繋がることであるがミスしたらひたすら謝ることがあるが、これについても色々意見がある。

筆者がブロガーとして勝手に尊敬するちきりん氏の「多眼思考」でちきりん氏は「ミスしたらひたすら謝る人がいるが、謝るより次にどうやったら同じミスが防げるか、どう仕事のやり方を変えるか具体的に教えて(考えて)ほしい。精神論でミスは防げない」とあったが、

頑張るということでも他には多くの控え選手を押し退けてレギュラーに抜擢されているのに、試合前に「頑張ります!」というのはよくよく考えてみれば「試合に出る以上頑張って当たり前だっ!」とも言える。

普段当たり前に使っている言葉が実は責任逃れの方策になっていることが気づいた。