前回はボスマン判決というモノの中身とそのEU圏内への影響、そしてそれがEU社会の象徴だと述べた。今回はそう表現した理由を考えてみたい。

ボスマン判決によってEU圏内の住民が急速に流動性のあるモノに変化した。

もともと「ヨーロッパの歴史は分裂と統合の繰り返しだ」という言葉もあるが、ヨーロッパ社会がEUという仕組みで統合されたが、ボスマン判決によってのちに生まれたチームもEU圏内の国々も様相が似ている。

「どこらへんが似ているんだ?」と思うかもしれないがサッカーチームを見ても今ヨーロッパに対するニュースを見ても、それぞれの国の中で多種多様な民族が急速に入り混じっているので、国の中にある国民性がわからなくなっている。

以前「勇午」という漫画で、オーストリー(オーストリア)で首相が「このままではハプスブルク家の文化が花開いた我が国は、移民の急速な流入でキャンプ場の料理のようになる」とあった。

その答えが「ごった煮だ」である。この漫画が出たのは1990年代後半頃だったから、ヨーロッパ社会というのは急速なEU圏内の国民の流入があったのである。それは予見されたモノであった。

今のヨーロッパのサッカーチームでもどのチームもEU圏内での外国人枠の撤廃もあって、(ごった煮では例えが悪いが)非常に混沌とした人種によるチーム編成になっている。

ただ気になるのはサッカー選手という立場はある一定の敬意が払われるが、今ドイツに入ってきている母国の政情不安から流入したシリア系などのイスラム系難民というのは入国先でかならずしも歓迎されていない。

EU圏内もどの国も景気が良い訳ではないので受け入れられるとは限らないが、どんな難民も最低限の人権は保障されてもらいたい。