昨日(2015/09/08執筆)の夜にW杯2次予選の日本vsアフガニスタン(アフガン)の試合を見た。この時点では予選初のアウェー(中立地のイラン・テヘランだったが)ということもあって、代表の選手達は出だしの動きは固かった。
今に始まったわけではないし別に今更筆者にドヤ顔で言われても不愉快なだけかもしれないが、もともと分かってはいたがこの試合で嫌だったのはいわゆるアウェーの声援が、かなり厄介だった。
アウェーの声援というのはサッカーファンにとっては常識過ぎるくらい常識なのだが、知識や一般教養(?)として知ってはいても嫌なモノは嫌だった。
ドーハの悲劇の頃は最終予選の全試合を中東のカタールでやっていたのだから、アウェーでの試合が半分になった今のシステムというのはまだマシになった方である。
この日のテヘランでの試合でも(入場制限してても)アフガンサポーターの声とブブゼラの音しか聞こえず(どうでも良いがブブゼラもJリーグ初期のチアホーン並に耳障りな音なので、早く廃れてもらいたい)、試合開始から日本の2点目が入る辺りまでは日本側の応援は全くテレビの集音マイクには入らなかった。
逆に言えば点が入ってからはアフガンサポの応援が止まりやり易くなったのか、怒涛のゴールラッシュを見せた。
もともとサッカー選手としての基本性能に違いがあったのと、アフガンはホームの上にシンガポールやカンボジア程ガチガチのベタ引きではなく、若干仕掛けてくるサッカーをしてきて前述のチームよりスペースができたことも得点量産の原因であったが、やはりこの試合で大きかったのは前半の早い時間帯で複数得点があって、耳障りな声援が消えて代表に良い意味での積極性が生まれたのが勝因だったかもしれない(日本がホームでシンガポールに引き分けた時にはウルトラズの大声援を力に出来なかったのは、声援の量の問題ではなくアフガンとシンガポールとのチームの質の違いだと筆者は考える)。
②では他の試合における声援の重要性を見てみたい。