冒頭のタイトル。中田英寿と内藤大助。それぞれ競技は違うもののある種のカリスマ性を持ったアスリートである。

しかしこの2人にはある共通点がある。それは「最初から注目され出世頭ではなかった」と言うところである。

先日読んだサッカー本で「Hard After Hard」(大泉実成・KANZEN・2013年)と言う本があって、1993年のサッカーのUー17世界選手権での日本代表のメンバーのその後を追った作品であった。

その頃の世代別の日本代表メンバーに中田英寿も招集されていたが(この当時はプロ選手ではなく山梨県の韮崎高校の選手だった)、このチームで10番をつけていて最も注目されていた選手と言うのが実は中田ではなく、読売SCユースから招集された「天才・財前」こと財前宣之だった。

90年代初頭のJリーグ初期の読売クラブ(ヴェルディ川崎)と言うのはいわば飛ぶ鳥落とす勢いで、そこの世代別代表の10番をつけていた財前は中田よりも遥かに有望株であった。

…しかし…

実際にこの時の世代別代表で出世頭になったのは財前ではなく中田だった。財前が努力を怠った訳ではないが、中田の場合は努力の道筋のつけ方が上手いというか、高校からプロ、プロから欧州にステップアップしていく為に何が必要なのかをよくわかっていた。聖書の「汝自身を知れ」ではないが、中田の場合サッカー選手として自分に何が必要なのか、自分自身をよく理解していたのが後のサクセスストーリーに繋がった感がある。

話が脱線したが、当時の世代別代表のメンバーと実際に大出世した選手と言うのは違うと言う事だった。

②では内藤大助について述べたい。内藤大助もまた(意外かもしれないが)最初はジム頭ではなかったのだ。