こうして今のサッカー日本代表について色々思うところがあるが、日本代表の選手としての能力は間違いなくハイスペックになった。それは疑いようの無い事実だ。

しかしそれだけでは世界に勝てない。それもまた事実だ。何かが足りないというよりはむしろ機能が多すぎる(オーバースペック?)のかもしれない。

それこそ携帯電話事業で日本企業の無闇に使い切れない量の機能を装備したガラケーが、アジアを主とした海外市場で全く支持されずに、逆にマーケティングを重視し機能を徹底的に簡素化してシンプルな方向性を追求した、当時の韓国製の携帯電話がアジア市場で支持されて日本企業が大得意のモノづくりの分野で大敗を喫したことが2000年代にあったが(今、韓国もウォン高で大変だが)、今の日本代表のサッカー選手や代表チームの編成にも似たような匂いを感じてならない。

オシム監督が「ポリバレント(多機能)な選手がこれからの世界のサッカーには必要」と言っていたが、今の日本サッカー界はこの言葉を履き違えている感がある。

機能が多い方が良いとはいえ前述のガラケーのように、ただ使いもしない技術を闇雲に増やせば良いのではない。

日本代表の方向性が「勝てば何でも良い」みたな迷走した中で無闇に機能だけ追加しているから、選手自身が「器用貧乏」で「船頭多くて船山登る」になっている。

ヨーロッパの代表チームというのはそれぞれが自国の特色やオリジナリティーを長い時間をかけて熟成させながら、しっかり方向性を見据えてブレのない矢印を構築してあるから(もっとも最近のサッカーは国毎の特色は減りつつあるが)、代表に選出される選手もポリバレントでありながらチーム全体で共有している自分達が進む方向がそれぞれ分かっているので、選手個人が持つポリバレントな技術の選択肢が「迷い」にならず「幅の広さ」に繋がる。

一方で今の日本代表の場合、一見すると技術が上がって表面上はポリバレントになっているが、肝心のビジョンがボヤけた状態で闇雲に機能だけを追加しているので、無数にある選択肢の前でフリーズしている感じがする(まるで現代のネット社会の象徴のようだ)。

また筆者が強く尊敬する漫画原作者の綱本将也の「Uー31」で主人公のチームで指揮するヨーロッパ人監督が「日本人選手は既に十分上手いが、戦術理解度が足りなくて1つのプレーに満足して次に必要なプレーに移れていない」とあったが、チーム間で自分達の方向性(この場合は戦術理解度)が共有出来てないのも日本のクラブチームでも代表でもそこは共通する。

今の日本代表に必要なのはただ漠然と上手くなりたいと思ってプレーするのではなく、自分の所属するチームで自分はチームの他の選手をどう活かせるか?その為にはどういうトレーニングが必要か?そうした他者を思いやるような想像力や思考力がこれからは必要だ(それは代表だけでなく全てのカテゴリーに共通の課題だ)。

かなり長くなったが今の日本サッカーに必要なのは「自分達が進むべき方向性」と「それを模索する為の思考力」である。