このテーマも長くなっているが、スポーツ選手が外国語習得にどういう努力をすべきなのかを考えてみたい。
有名なのはサッカーの長友佑都である。長友の場合は元々海外嗜好の強い選手で、練習の合間に自分の行きたいイタリア語の勉強をやっていたと言うのは有名な話だ。
イタリアに限らず欧州と言うのは、どこでも自分達の国や民族としてのルーツというモノを大切にする地域だから(東京の地元への帰属意識の薄さをイメージ出来ないだろうが)、長友がイタリアに馴染もうと努力する姿が現地の人も受け入れて、だからインテルのSBとして活躍出来たのだろう。
川島永嗣もそうだがサッカーという競技は野球以上に選手間の連携が重要なスポーツだから、能動的に外国語を習得しようとする作業は海外で活躍したい選手には必須要素だ。
日本でも今ジェフ(千葉)の主将をしているブラジル人ボランチをしているパウリーニョも熱心に日本語を勉強している。パウリーニョはアウェーの移動でのバス車中でも、スマホの外国語学習のアプリから日本語の勉強をしている。真面目な性格だと言うが日本に来る外国人助っ人の鑑(かがみ)のような選手だ。
日本に来る韓国人Jリーガーでも通訳をつけない選手もいる。もっともクラブの財政面の都合や日本語と韓国語は文法が近い分習得しやすいという面もあるが。
日本球界でもオリックスバッファローズの4番のカラバイヨもインタビューでは通訳をつけない。カラバイヨも日本の独立リーグの群馬からプロ野球にテスト入団したという経緯の苦労人で、独立リーグでは通訳を雇う余裕もなかったのもあるが、厳しい環境の中で日本球界に技術的にも文化的にも適応しようとして今の座を勝ち取った。
日本人初のNBAプレーヤーである田臥勇太もアメリカで成功する為の秘訣を問われた時即答で「言葉」と言っていた。プレーはある意味二の次で、まずアメリカの価値観や生活習慣に馴染まないと成功する筈がないと言い、「学校の英語の授業をもっと真面目に受けていれば良かった」ともあった。
先述のアスリートはその努力の必要性を知っていて、コツコツやっていたから異国の地でも成功しているのである。
こうしてスポーツ選手にとっての言葉と言うのを見てきた訳だが、言葉の習得と言うのは能動的に努力する覚悟があって初めて習得し、習得することによってチームとして「お客様」ではなく本当の意味で「選手」として扱われるのである。