筆者のようなアラフォーのおっさんからすれば①で述べた今のブラサカ日本代表が置かれている状況と言うのは、まんまジョホールバルの歓喜に似ている。
ジョホールバルの歓喜と言うのがリアル体験していない若者や子供に説明すると(そういう人間がいる事自体に筆者は頭が割れる程ショックを受けるが…)、ジョホールバルの歓喜と言うのは1997年11月16日にマレーシア南端の都市ジョホールバルのサッカースタジアムで、サッカー日本代表がフランスW杯アジア地区第3代表決定戦でイラン代表を岡野雅行のゴールデンゴールで下し、悲願のW杯初出場を決めた試合だった。
今でこそサッカー日本代表はW杯に当たり前のように出場しているが、この出来事の前日まではサッカー日本代表と言うのは2002年に開催予定だったW杯日韓大会の開催国枠以外でこの大会に出場出来ないのだ、と筆者のみならず当時の代表を応援する日本全員が思っていた。こうしたサッカー日本代表が初めてW杯に出場出来たと言うのは今のアラフォーには鮮烈に心に刻まれた出来事だった。
しかしよくよく考えて見るとこの年に生まれた赤ん坊が今女子大生となって、学生団体に所属するブラサカ日本選手権の運営ボランティアとして働いている姿を見ると、自分は若いと思っている筆者ももうおっさんなんだと感じて、その現実を受け入れるのはぶっちゃけかなりキツかった。
脱線した話を戻すと9月の代々木のブラサカ選手権と言うのは、今説明したように開催国枠が初出場で世界中から日本代表の実力を疑問視されたくないと言うのもジョホールバルの時と同じであるが、それだけではない。
代々木のアジア選手権にはブラサカマレーシア代表も本選出場を懸けて闘うというのも何かの因縁を感じるし(ジョホールバルはマレーシア南端の都市)、イラン代表も出場するというのも同じく因縁めいたモノを感じる(ジョホールバルで闘ったのがイラン代表だった。余談だがその時の監督が去年までJ2京都で指揮していたバドゥ監督)。
こうして見に行ったブラサカという競技が実はフランスW杯予選の時の中田英寿時代が活躍していた日本代表と共通点があったのは本当に歴史が織りなした因縁を強く感じた。願わくはあの時のサッカー日本代表が実力でW杯初出場を掴み獲ったように、ブラサカ日本代表も代々木でパラリンピック初出場というのを実力でもぎ取って貰いたい。